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1776年、アメリカ独立宣言と同じ年に刊行された『国富論(An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)』は、経済学史上最も影響力のある著作の一つとなった。しかし、この書物が貨幣論の分野で果たした役割は、しばしば「見えざる手」の議論の陰に隠れがちである。実際には、スミスの貨幣論こそが、重商主義の金銀至上主義を決定的に論駁し、近代的な金融制度論の基礎を築いた画期的業績であった。
スミスが生きた18世紀のスコットランドは、まさに貨幣制度の実験場であった。1707年のイングランドとの合邦以降、スコットランドは急速な経済発展を遂げていたが、その過程で銀行業の発達、手形取引の拡大、紙幣流通の普及といった金融革新が次々と起こった。スミス自身、グラスゴー大学での教授時代(1751-1764)に、こうした金融実務の現場を間近で観察する機会を得た。特に1772年に発生したエア銀行(Ayr Bank)の破綻は、スミスの銀行論に決定的な影響を与えることになる。
『国富論』におけるスミスの貨幣論は、単なる理論的考察ではなく、この時代の金融実務から得られた豊富な経験的知見に基づいている。彼は貨幣を「富そのもの」ではなく「流通の大いなる車輪(the great wheel of circulation)」として位置づけることで、重商主義者たちが陥った根本的誤謬を正した。同時に、銀行信用の有用性を認めながらも、その危険性を冷静に分析し、適切な規制の必要性を説いた。この現実主義的なアプローチこそが、スミスの貨幣論を今日でも色褪せない洞察に満ちたものにしているのである。
スミスの貨幣論を理解するためには、まず彼が目撃した18世紀スコットランドの金融革命を把握する必要がある。1695年にスコットランド銀行(Bank of Scotland)が設立されて以来、スコットランドの銀行業は独自の発展を遂げていた。1727年には王立スコットランド銀行(Royal Bank of Scotland)が設立され、両行の競争が金融革新を促進した。
この時期のスコットランド銀行業の特徴は、イングランドと比較して遥かに柔軟で革新的であったことである。例えば、スコットランドの銀行は早くから小額紙幣の発行を行い、一般庶民の日常取引にまで紙幣流通を浸透させていた。イングランドでは1708年の法律により、イングランド銀行以外の銀行による紙幣発行が制限されていたが、スコットランドにはこのような制約がなかった。その結果、多数の地方銀行が設立され、それぞれが独自の銀行券を発行するという、まさに「自由銀行制度」の実験が展開されていたのである。
さらに注目すべきは、スコットランドの銀行が開発した「キャッシュ・アカウント(cash account)」という制度である。これは現在でいう当座貸越に相当するもので、信用力のある顧客に対して一定の限度額内での借入を認める仕組みであった。この制度により、商人や製造業者は必要な時に迅速に資金を調達できるようになり、商業活動の活性化に大いに貢献した。
しかし、この金融革新の過程で深刻な問題も発生した。1772年のエア銀行破綻である。同行は過度に拡張的な貸出政策を採り、特に長期的な土地投機や製造業への融資を積極的に行った。当初は高い収益を上げていたが、景気後退とともに不良債権が急増し、最終的に破綻に至った。この事件は、スコットランド全体の金融システムに深刻な打撃を与え、多くの企業や個人が連鎖的に破綻する事態となった。
スミスはこの一連の出来事を間近で観察し、金融制度の持つ両面性を深く理解することになった。すなわち、適切に運営される銀行制度は経済発展の強力な推進力となるが、過度な信用拡張は破滅的な結果をもたらしうるという教訓である。この経験が、『国富論』における銀行論の現実主義的な性格を形成する基礎となったのである。
スミスの貨幣論において最も重要な理論的貢献の一つは、価格概念の体系的整理である。彼は価格を四つの異なる概念に分類することで、貨幣現象を分析するための精緻な枠組みを提供した。この分類は、後の古典派経済学の発展において決定的な役割を果たすことになる。
第一に、スミスは「真実価格(real price)」と「名目価格(nominal price)」を区別した。真実価格とは、ある商品を取得するために支払わなければならない労働の量で測った価格である。例えば、1頭の牛を購入するために10日間の労働が必要であれば、牛の真実価格は10日分の労働ということになる。これに対して名目価格は、貨幣で表示された価格である。同じ牛が10ポンドで売られていれば、その名目価格は10ポンドである。
スミスがこの区別を重視したのは、貨幣価値の変動によって名目価格が変化しても、真実価格は必ずしも変化しないからである。例えば、貨幣供給量の増加によってすべての商品の名目価格が2倍になったとしても、相対的な交換比率(真実価格)は変化しない。この洞察により、スミスは重商主義者たちが犯した根本的誤謬を明らかにした。彼らは名目価格の上昇を富の増加と錠覚していたが、実際には貨幣価値の下落に過ぎなかったのである。
さらにスミスは、時間軸に沿って「自然価格(natural price)」と「市場価格(market price)」を区別した。自然価格とは、長期均衡において成立する価格であり、生産に必要な賃金、利潤、地代がそれぞれ通常の率で支払われる水準で決まる。これに対して市場価格は、短期的な需給関係によって決まる実際の取引価格である。
この区別の重要性は、具体例を通じて理解できる。例えば、ある地域で突然の豊作によって小麦が大量に収穫されたとしよう。短期的には供給過剰により市場価格は自然価格を下回る。しかし、低価格により需要が刺激される一方で、生産者の中には他の作物への転作を検討する者も現れる。こうした調整過程を通じて、長期的には市場価格は自然価格の水準に収束していく。
スミスはこの価格理論を用いて、貨幣現象を体系的に分析した。例えば、銀の大量流入によって物価が上昇した16世紀の「価格革命」について、彼は以下のように説明した。新大陸からの銀の流入により、銀の市場価格がその自然価格を下回った。その結果、銀で表示されたすべての商品の名目価格が上昇したが、これは各商品の真実価格の変化を意味するものではなかった。むしろ、銀という貨幣商品の相対価値が低下したことの反映であった。
この分析枠組みは、後のリカードやマルクスの価値理論に直接的な影響を与えた。リカードの「分配理論」は、スミスの自然価格概念を発展させたものであり、マルクスの「価値-価格論」も、スミスの四価格概念を批判的に継承している。現代の経済学においても、実質価格と名目価格の区別、短期均衡と長期均衡の概念は基本的な分析道具として用いられており、スミスの理論的遺産の重要性を物語っている。
スミスの貨幣論において最も革新的な洞察の一つは、貨幣の本質を「流通の大いなる車輪」として捉えたことである。この比喩は単なる修辞的表現ではなく、貨幣の社会的機能に関する深い理解を示している。
従来の重商主義的思考では、金銀そのものが富であり、その蓄積こそが国家の繁栄をもたらすと考えられていた。しかしスミスは、この考え方を根本から否定した。彼によれば、貨幣は富そのものではなく、富を流通させるための道具に過ぎない。ちょうど道路が交通を促進するが道路自体は目的地ではないように、貨幣は交換を促進するが貨幣自体は最終目的ではないのである。
この洞察の重要性は、分業理論との関連で理解される。スミスは『国富論』の冒頭で、ピン工場の例を用いて分業の効果を説明した。10人の労働者が分業によって作業を行えば、1日に48,000本のピンを生産できるが、各人が独立してすべての工程を行えば、1日に200本も生産できないであろう。この驚異的な生産性向上こそが、国民の富を増大させる真の源泉である。
しかし、分業が効果を発揮するためには、各人が生産した商品を他の商品と交換できなければならない。ピン製造に特化した労働者は、自分でパンを焼くことも靴を作ることもできない。彼は自分の生産したピンを売って得た貨幣で、必要な商品を購入しなければならない。つまり、分業システムが機能するためには、効率的な交換システムが不可欠なのである。
ここで貨幣の重要性が明らかになる。物々交換の場合、「欲望の二重の一致」という問題が生じる。ピン製造者がパンを欲しても、パン製造者がピンを必要としなければ交換は成立しない。この問題を解決するのが貨幣である。貨幣という共通の交換媒体があることで、すべての商品が相互に交換可能となり、複雑な分業システムが維持される。
スミスの銀行論の最大の特徴は、抽象的な理論ではなく、スコットランドの銀行実務に基づく実証的分析であることである。彼は『国富論』第2編第2章「社会の総資本の一部門としての、または国の収入の維持に用いられる貨幣について」において、当時のスコットランド銀行業の仕組みを詳細に記述し、その経済効果を分析した。
まず、スミスは銀行券の流通メカニズムを説明している。当時のスコットランドでは、複数の銀行が独自の銀行券を発行していた。これらの銀行券は、発行銀行において金銀と交換できることが保証されており、この兌換性こそが銀行券の信用の基礎であった。例えば、スコットランド銀行が発行した20ポンド券は、同行の本支店において20ポンド相当の金貨と交換できた。この仕組みにより、重い金貨を持ち歩くことなく、軽便な紙幣で取引を行うことが可能となったのである。
スミスは、この銀行券制度が経済に与える効果を「道路の空中化」という印象的な比喩で表現した。金貨による決済は、重い貨車で商品を運搬するようなものである。これに対して銀行券による決済は、商品を空中に浮かべて運搬するようなものであり、道路(金貨)を他の用途に転用できるようになる。つまり、銀行券の使用により、金銀を貨幣として退蔵する必要がなくなり、その分の貴金属を装飾品や工業原料として利用できるようになるのである。
しかし同時に、スミスは銀行業の危険性についても冷静に分析した。特に1772年のエア銀行破綻は、彼の銀行論に決定的な影響を与えた。同行は設立当初、年率8%という高い配当を株主に約束し、積極的な営業展開を行った。しかし、その資金調達手段は主として短期の銀行券発行であったにも関わらず、運用は長期の土地投機や製造業投資に集中していた。この期間ミスマッチが、景気悪化時に深刻な流動性危機を引き起こしたのである。
スミスの貨幣論において最も重要な理論的貢献の一つは、重商主義の金銀蓄積論に対する体系的批判である。重商主義者たちは、国家の富は金銀の蓄積量によって測られ、貿易収支の黒字こそが国家繁栄の源泉であると考えていた。しかしスミスは、この考え方が根本的に誤っていることを論証した。
重商主義の論理は一見すると説得力がある。個人レベルでは、より多くの貨幣を所有する者がより豊かであることは明らかである。したがって、国家レベルでも、より多くの金銀を蓄積する国がより豊かであるはずだ、というのが彼らの推論であった。この論理に基づき、重商主義者たちは輸出を促進し輸入を制限することで、金銀の国外流出を防ぎ、国内蓄積を増やそうとした。
しかしスミスは、この推論に含まれる「合成の誤謬」を鋭く指摘した。個人にとって貨幣の蓄積が富を意味するのは、その貨幣で他の商品を購入できるからである。しかし、すべての個人が同時に貨幣を蓄積しようとすれば、商品の供給が減少し、結果として社会全体の富は減少する。国家レベルでも同様の論理が成り立つ。すべての国が同時に金銀を蓄積しようとすれば、国際貿易は縮小し、各国の分業利益は失われてしまう。
スミスの金融政策論は、しばしば「自由放任主義」として単純化されがちであるが、実際にはより複雑で洗練された内容を持っている。彼は確かに市場メカニズムの効率性を信頼していたが、同時に金融分野における適切な規制の必要性も認識していた。この一見矛盾する立場は、スコットランド銀行業の実地観察から得られた現実主義的な判断に基づいている。
まず、スミスが支持した自由化政策について見てみよう。彼は銀行設立の自由化を強く主張した。当時のイングランドでは、1708年の法律により、イングランド銀行以外の銀行による紙幣発行が事実上禁止されていた。これに対してスコットランドでは、複数の銀行が自由に競争していた。スミスはこの対比を通じて、銀行業における競争の重要性を論証した。
しかし同時に、スミスは銀行業における規制の必要性も認識していた。第一に、銀行券の即時兌換義務である。第二に、小額銀行券発行の制限である。第三に、リアル・ビル原則の遵守である。第四に、金利規制に関しては、市場金利をやや上回る程度の「穏当な上限」を設けることを提案した。
21世紀の今日、スミスの貨幣論を振り返ることで、現代の金融システムが直面する諸問題に対する重要な示唆を得ることができる。特に、2008年の世界金融危機以降、金融システムの安定性と効率性をいかに両立させるかという問題は、政策当局の最重要課題となっている。
スミスの「流通の車輪」という貨幣観は、現代の中央銀行政策にとって重要な示唆を提供している。また、スミスの銀行規制論は、現代のマクロプルーデンス政策に重要な示唆を提供している。さらに、スミスの「自由と規制のバランス」という政策哲学は、現代の金融政策論にとって極めて重要である。
アダム・スミスの貨幣論は、18世紀という時代的制約にも関わらず、現代の金融システムが直面する基本的問題を既に洞察していた画期的な業績である。彼は貨幣を「流通の大いなる車輪」として位置づけることで、重商主義の金銀至上主義を決定的に論駁し、近代的な金融制度論の基礎を築いた。
スミスの最大の貢献は、理論と実務の見事な統合にある。彼は抽象的な思弁に陥ることなく、スコットランド銀行業の現実を詳細に観察し、そこから一般的な原理を抽出した。この実証主義的アプローチにより、彼の理論は単なる机上の空論ではなく、実際の政策運営に直接応用できる実用的な知識となった。
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