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第19章:カール・ポランニー——『大転換』と市場の自己調整神話の解体

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序論:19世紀市場社会の歴史的異常性とその帰結

カール・ポランニー(Karl Polanyi, 1886-1964)は、20世紀前半の激動期を生きた経済人類学者として、近代資本主義社会の根本的矛盾を鋭く洞察した。彼が1944年に発表した『大転換』(The Great Transformation)は、単なる経済史の記述を超えて、人類史における「市場社会」の特異性と、それが引き起こした社会的破局の必然性を明らかにした画期的な作品である。

ポランニーの問題意識は、1930年代の大恐慌とファシズムの台頭という現実的危機から出発している。なぜ19世紀に繁栄を謳歌した自由主義的世界秩序が、わずか数十年で破綻し、全体主義的反動を招いたのか。この問いに答えるため、彼は経済と社会の関係を根本から問い直した。その結果到達した核心的洞察が、近代資本主義における「自己調整的市場」(self-regulating market)の概念が、人類史上極めて異例な実験であったという認識である。

ポランニーによれば、人類の歴史を通じて経済活動は常に社会関係の中に「埋め込まれて」(embedded)きた。互酬(reciprocity)、再分配(redistribution)、家政(householding)といった原理が経済を組織し、市場交換は補完的な役割に留まっていた。ところが19世紀のイギリスで初めて、市場原理が社会の他の諸制度を従属させ、経済が社会から「脱埋め込み」(disembedded)される状況が生まれた。この歴史的転換こそが「大転換」の本質である。

しかし、この実験は必然的に破綻を迎える。なぜなら、市場経済の円滑な機能に不可欠な労働・土地・貨幣は、本来的には商品ではないからである。これらを「擬制商品」(fictitious commodities)として市場メカニズムに全面的に委ねることは、社会の基盤そのものを破壊する。ポランニーはこの矛盾を「二重運動」(double movement)の概念で説明する。市場の拡張は必然的に社会的保護を求める反対運動を誘発し、この緊張が最終的に自由主義的秩序の崩壊をもたらしたのである。

16.1 擬制商品の論理:なぜ労働・土地・貨幣は真の商品ではないのか

ポランニーの理論の核心をなすのが「擬制商品」(fictitious commodities)の概念である。この概念を理解するためには、まず商品の本質的定義から出発する必要がある。経済学的に商品とは、販売を目的として生産された財・サービスを指す。つまり、商品には「販売目的での生産」という前提条件が存在する。

ところが、市場経済の機能に不可欠とされる労働・土地・貨幣は、この定義に根本的に合致しない。労働は人間の生活活動そのものであり、土地は自然環境の一部であり、貨幣は社会的制度である。これらはいずれも販売目的で「生産」されるものではない。にもかかわらず、19世紀の市場社会はこれらを商品として扱い、価格メカニズムによる配分に委ねようとした。ここにポランニーが「擬制」と呼ぶ根本的な矛盾が存在する。

労働の擬制商品化とその社会的帰結

労働力の商品化は、人間存在の根本的側面を市場メカニズムに従属させる試みである。古典派経済学は労働を他の生産要素と同列に扱い、需給関係によって賃金が決定されると想定した。しかし、労働は人間から分離不可能であり、その「価格」である賃金の変動は、単なる経済的調整を超えて人間の生存そのものに直結する。

具体的に19世紀イギリスの事例を見ると、1834年の新救貧法(New Poor Law)は、労働力の完全な商品化を目指した制度改革であった。従来の救貧制度が提供していた最低限の生活保障を撤廃し、労働者を「自由な」労働市場に放り出すことで、賃金の市場決定を徹底しようとしたのである。しかし、この政策は深刻な社会的混乱を招いた。労働者の生活水準は急激に悪化し、都市部では貧困と疫病が蔓延した。

ポランニーは、この歴史的経験から重要な洞察を得る。労働力を純粋に商品として扱えば、人間の再生産そのものが危機に陥る。家族制度の解体、共同体の破綻、社会的結束の喪失といった問題が必然的に生じる。なぜなら、人間は経済的存在である以前に社会的存在だからである。労働力の価格が生存に必要な水準を下回れば、社会の基盤そのものが崩壊する。

土地の擬制商品化と環境破壊

土地の商品化についても、同様の論理が適用される。土地は人間によって生産されるものではなく、自然環境の一部として存在する。しかし、19世紀の市場社会は土地を私有財産として確定し、売買可能な商品として扱うことで、効率的な資源配分を実現しようとした。

イギリスの囲い込み運動(Enclosure Movement)は、この過程を象徴的に示している。中世以来の共有地(common land)を私有地に転換し、農業の商業化を推進することで、確かに農業生産性は向上した。しかし、この過程で農村共同体は解体され、多くの農民が土地を失って都市部に流入した。さらに、土地の商品化は短期的利益の追求を促し、土壌の枯渇や森林の乱伐といった環境破壊を引き起こした。

現代的観点から見れば、土地の商品化は持続可能性の問題と直結している。市場価格は短期的な収益性を反映するが、土壌の肥沃性維持や生態系保全といった長期的価値を適切に評価しない。この結果、環境の再生産能力を超えた開発が進み、将来世代の生存基盤が脅かされる。

貨幣の擬制商品化:金融市場の自律性という幻想

貨幣の擬制商品化は、最も複雑で現代的な意味を持つ問題である。19世紀の金本位制下では、貨幣(金)は他の商品と同様に需給関係によって価値が決定されるとされた。中央銀行の役割は、この「自然な」価格メカニズムを阻害しないよう、金の流出入に応じて通貨供給量を自動的に調整することに限定された。

しかし、この理解は貨幣の本質を根本的に誤認している。貨幣は単なる交換媒体ではなく、社会的関係を媒介する制度的装置である。その価値と機能は、国家の課税権、中央銀行の信用創造、法的な強制通用力、社会的な受容慣行といった複合的な制度体系によって支えられている。

ポランニーの時代から現代に至るまで、貨幣の制度的性格はますます明確になっている。1971年のニクソン・ショックによる金本位制の完全な崩壊は、貨幣価値が金という「商品」に依存していないことを決定的に証明した。現代の不換紙幣制度では、貨幣の価値は中央銀行の政策運営と政府の財政規律、そして市場参加者の信頼によって維持されている。

2008年の金融危機は、貨幣・金融市場の「自己調整」という観念の破綻を露呈した。住宅バブルの崩壊と金融機関の連鎖破綻は、金融市場を自由放任に委ねることの危険性を示した。各国政府と中央銀行による大規模な介入(量的緩和、銀行救済、財政出動)なしには、金融システムの崩壊は避けられなかった。この経験は、貨幣・金融が本質的に政治的・制度的な管理を必要とする領域であることを改めて確認させた。

16.2 自己調整市場という神話の制度的構築

ポランニーの分析で特に重要なのは、「自己調整市場」が自然発生的な現象ではなく、19世紀イギリスにおいて意図的に構築された制度的実験であったという認識である。古典派経済学者たちが描いた市場の自動調整メカニズムは、実際には国家権力による大規模な制度改革を通じて人工的に実現されたものであった。

19世紀イギリスにおける市場制度の構築過程

自己調整市場の制度的基盤は、19世紀前半から中期にかけての一連の改革によって段階的に整備された。この過程は、単なる規制緩和ではなく、市場原理を社会全体に貫徹させるための積極的な国家介入であった。

まず1834年の新救貧法(New Poor Law)は、労働力の完全な商品化を目指した。従来の救貧制度では、貧民に対して居住地での救済を提供し、最低限の生活を保障していた。しかし、新救貧法はこのシステムを廃止し、救済を求める者は劣悪な環境の救貧院(workhouse)に収容するか、労働市場で雇用を求めるかの選択を迫った。この改革の目的は明確であった。労働者が生存のために賃金労働に依存せざるを得ない状況を作り出し、労働力の需給関係による賃金決定を徹底することであった。

次に1846年の穀物法(Corn Laws)廃止は、食糧市場の自由化を実現した。穀物法は1815年以来、外国産穀物の輸入に高関税を課すことで、国内農業を保護してきた。しかし、産業資本家と自由貿易論者は、食糧価格の低下による実質賃金の上昇と輸出競争力の向上を求めて、この保護政策の撤廃を主張した。穀物法廃止により、イギリスは世界市場から安価な食糧を輸入できるようになったが、同時に国内農業は国際競争に晒されることとなった。

さらに1844年の銀行憲章法(Bank Charter Act)は、貨幣制度の「自動調整」を制度化した。この法律は、イングランド銀行の発券業務を厳格に金準備に連動させ、中央銀行による裁量的な通貨政策を大幅に制限した。金の流出入に応じて通貨供給量が自動的に調整されることで、国際収支の均衡が「自然に」回復されると期待された。

自由貿易体制の確立とその論理

これらの制度改革を理論的に正当化したのが、アダム・スミス、デイヴィッド・リカード、ジョン・スチュアート・ミルらの古典派経済学であった。彼らは、個人の利己的行動が「見えざる手」によって社会全体の利益に結びつくと主張し、政府介入の最小化を提唱した。特にリカードの比較優位論は、自由貿易が全ての参加国に利益をもたらすという理論的根拠を提供した。

しかし、ポランニーはこの理論的枠組みが現実を著しく単純化していることを指摘する。市場の「自然性」を強調する古典派理論は、実際には市場制度そのものが政治的・法的な構築物であることを隠蔽している。財産権の確定、契約の執行、貨幣制度の維持、労働関係の規制など、市場経済の基盤となる制度は全て国家権力によって創設・維持されている。

制度構築の社会的コスト

自己調整市場の構築は、確かに経済効率の向上をもたらした。19世紀後半のイギリスは「世界の工場」として繁栄し、国際貿易の中心的地位を占めた。工業生産の拡大、技術革新の促進、資本蓄積の加速といった成果は否定できない。

しかし、この成功は膨大な社会的コストを伴っていた。労働者階級は劣悪な労働条件と不安定な雇用に苦しみ、農村共同体は解体され、環境破壊が進行した。特に景気変動の際には、市場の「自動調整」が大量失業と社会不安を引き起こした。1840年代の「飢餓の40年代」や1870年代の長期不況は、市場メカニズムの社会的限界を露呈した。

ポランニーは、これらの問題が市場制度の「副作用」ではなく、自己調整市場の論理に内在する必然的帰結であることを強調する。擬制商品化された労働・土地・貨幣を純粋に市場原理に委ねれば、人間社会の再生産基盤そのものが危機に陥る。この矛盾こそが、次に検討する「二重運動」を引き起こす根本的要因となった。

16.3 二重運動:市場拡張と社会的保護の弁証法

ポランニーの最も独創的な理論的貢献の一つが「二重運動」(double movement)の概念である。この理論は、19世紀から20世紀前半にかけての社会変動を、市場の拡張とそれに対する社会的反動という相互作用の過程として理解する分析枠組みを提供している。

二重運動の基本構造

二重運動の第一の運動は、市場制度の拡張と深化である。これは自由放任主義(laissez-faire)の原理に基づき、経済活動の領域を拡大し、社会のより多くの側面を市場メカニズムに委ねようとする傾向である。19世紀イギリスでは、前節で見た制度改革を通じて、労働・土地・貨幣の商品化が推進され、国際自由貿易体制が確立された。

第二の運動は、市場拡張に対する社会的保護を求める反対運動である。これは市場の破壊的影響から社会を守ろうとする自発的な反応であり、労働者の組織化、社会立法の制定、保護主義的政策の導入などの形で現れる。重要なのは、この保護運動が市場経済を全面的に否定するものではなく、市場の機能を社会的に制御可能な範囲に制限しようとする試みだということである。

19世紀後半の社会的保護運動:具体的展開

二重運動の実際の展開を、19世紀後半のヨーロッパにおける社会的保護運動の事例で検証してみよう。

労働運動の組織化

イギリスでは、1825年の団結禁止法廃止以降、労働者の組織化が本格的に始まった。1868年のトレード・ユニオン会議(TUC)設立、1871年の労働組合法制定により、労働組合の法的地位が確立された。組合員数は1850年の約10万人から1900年には200万人へと急増した。この数値は、労働力の商品化に対する労働者の組織的抵抗が如何に広範囲に展開されたかを示している。

社会立法の発展

ドイツでは、ビスマルクが1880年代に世界初の社会保険制度を導入した。1883年の疾病保険法、1884年の災害保険法、1889年の老齢・廃疾保険法により、労働者の生活リスクを社会的に分散する仕組みが構築された。これは労働力を純粋な商品として扱うことの限界を制度的に認めた画期的な措置であった。

保護主義の復活

1870年代の長期不況を契機として、ヨーロッパ各国で保護主義政策が復活した。ドイツは1879年に保護関税を導入し、フランスも1892年のメリーヌ関税で農工業保護を強化した。これは自由貿易という市場拡張の論理に対する、国内産業と農業を保護しようとする反動であった。

数量的分析:社会支出の拡大

二重運動の進展は、各国の社会支出統計にも反映されている。ピーター・リンダート(Peter Lindert)の研究によれば、先進国の社会支出(対GDP比)は以下のように推移した:

この数値の急激な増加は、市場経済の発展と並行して、社会的保護の制度化が進展したことを定量的に示している。特に第一次世界大戦後の急増は、戦争という極限状況が社会的結束の重要性を再認識させ、市場原理の無制限な適用に対する社会的制約を強化したことを反映している。

二重運動の政治的帰結

二重運動の展開は、19世紀末から20世紀初頭にかけての政治的変動と密接に関連している。市場拡張に対する社会的反動は、単なる経済政策の調整を超えて、政治体制そのものの変革を促した。

民主主義の拡大

労働者階級の政治参加要求は、選挙権の拡大という形で実現された。イギリスでは1867年、1884年の選挙法改正により、都市・農村の労働者男性に選挙権が拡大された。ドイツでも1871年の帝国憲法で男子普通選挙が導入され、社会民主党が急速に勢力を拡大した。これは労働力の商品化に対する政治的対抗手段として、民主的参加の拡大が機能したことを示している。

新しい政治勢力の台頭

二重運動の過程で、従来の自由主義政党に代わる新しい政治勢力が台頭した。社会主義政党、キリスト教社会主義政党、農民政党などが、市場経済の社会的制御を主張して支持を拡大した。これらの政党は、純粋な市場原理を超えた社会的価値(平等、連帯、共同体)の重要性を訴え、政治的影響力を獲得していった。

二重運動理論の理論的意義

ポランニーの二重運動理論は、経済決定論と政治決定論の両方を超えた、より複合的な社会変動理論を提供している。市場の拡張は確かに強力な歴史的推進力であるが、それは決して一方向的な過程ではない。社会は市場の破壊的影響に対して必然的に反応し、その反応が新たな制度的均衡を生み出す。

この理論的枠組みは、単純な「進歩」史観や「反動」史観を超えて、社会変動の弁証法的性格を明らかにしている。市場と社会の緊張関係は、一時的な摩擦ではなく、近代社会の構造的特徴なのである。

16.4 金本位制という「黄金の拘束衣」:貨幣の国際的制約と社会的犠牲

ポランニーの分析において、金本位制は自己調整市場の論理が最も極端な形で現れた制度として位置づけられる。彼が「黄金の拘束衣」(golden straightjacket)と呼んだこの制度は、貨幣を真の商品(金)に固定することで、国内経済を国際市場の自動調整メカニズムに完全に従属させる試みであった。

古典的金本位制の制度的メカニズム(1870-1914)

古典的金本位制は、各国通貨を一定の金価値に固定し、中央銀行が金準備に基づいて通貨供給を行う制度である。この制度の理論的基盤は、デイヴィッド・ヒュームの価格・正貨流出入メカニズム(price-specie flow mechanism)にあった。

制度の作動原理は以下の通りである。貿易赤字国では金が流出し、通貨供給が収縮して物価が下落する。これにより輸出競争力が回復し、貿易収支が改善される。逆に貿易黒字国では金が流入し、通貨供給が拡大して物価が上昇し、輸出競争力が低下する。この自動調整により、国際収支の均衡が「自然に」回復されると期待された。

しかし、この理論的モデルは重大な前提条件を含んでいた。物価と賃金の完全な伸縮性、労働力の完全な移動性、政治的・社会的摩擦の不在である。現実の経済では、これらの条件は満たされず、調整過程は深刻な社会的コストを伴った。

金本位制下の調整メカニズムの社会的コスト

金本位制の実際の機能を、具体的な数値データで検証してみよう。

イギリスの事例(1870-1914年)

イギリス銀行の金準備高と失業率の相関を見ると、金本位制の社会的コストが明確に現れる:

金準備の減少期には、銀行利率の引き上げと信用収縮により、失業率が急上昇している。この調整過程では、労働者が最も大きな犠牲を払うことになった。

ドイツの事例(1870-1914年)

ドイツ帝国銀行のデータは、より劇的な調整を示している:

金本位制の制約下では、国内経済の安定よりも金準備の維持が優先され、大規模な景気変動が避けられなかった。

戦間期の金本位復帰とその破綻

第一次世界大戦により中断された金本位制の復帰は、ポランニーが特に注目した歴史的実験であった。1920年代の各国は、戦前の金価値での復帰を目指したが、この試みは深刻な社会的・政治的混乱を引き起こした。

イギリスの金本位復帰(1925年)

チャーチル蔵相の決定により、イギリスは1925年に戦前の金価値(1ポンド=4.86ドル)で金本位制に復帰した。しかし、この決定は経済実態を無視した政治的判断であった。戦時中のインフレにより、この金価値は約10%過大評価されていた。

結果として、イギリス経済は深刻な不況に陥った:

ケインズは『チャーチル氏の経済的帰結』(1925年)で、この政策を「金本位制という黄金の足枷」と批判した。ポランニーは、この事例を擬制商品としての貨幣を国際的制約に従属させることの社会的破壊性を示す典型例として分析した。

ドイツのハイパーインフレーションと金本位復帰

ドイツの事例はさらに劇的であった。1923年のハイパーインフレーション後、1924年にドーズ案により金本位制に復帰したが、この過程で中間層の資産が壊滅的打撃を受けた。

この経験は、中間層の政治的急進化とナチス台頭の重要な背景となった。ポランニーは、金本位制への固執が民主主義制度そのものを脅かす政治的反動を招いたと分析した。

金本位制崩壊の国際比較分析

バリー・アイケングリーン(Barry Eichengreen)の研究は、ポランニーの洞察を実証的に裏付けている。1930年代の大恐慌からの回復速度は、金本位制からの離脱時期と強い相関を示した:

早期離脱国(1931年)

中期離脱国(1933-1934年)

後期離脱国(1936年)

この数値は、金本位制が「黄金の足枷」として機能し、国内経済の回復を阻害していたことを明確に示している。ポランニーの理論的洞察は、後の実証研究によって裏付けられたのである。

金本位制分析の現代的意義

ポランニーの金本位制分析は、現代の国際通貨制度にも重要な示唆を提供している。欧州通貨統合、新興国の通貨危機、ドル化政策など、現代の通貨制度も「外部アンカー」による制約と社会的コストの問題を抱えている。

金本位制の歴史的教訓は、貨幣制度の設計において、国際的制約と国内社会の安定のバランスを如何に取るかという根本的問題を提起している。ポランニーの分析は、この問題に対する理論的枠組みを提供し続けているのである。

16.5 ブレトンウッズ体制と「埋め込まれた自由主義」:ポランニー理論の制度化

第二次世界大戦後に確立されたブレトンウッズ体制は、ポランニーの理論的洞察を実際の国際経済制度として具現化した試みとして理解することができる。ジョン・ラギー(John Ruggie)が「埋め込まれた自由主義」(embedded liberalism)と名づけたこの体制は、市場の効率性と社会的安定の両立を目指した制度的妥協であった。

埋め込まれた自由主義の制度的特徴

ブレトンウッズ体制の核心は、国際的な経済自由化と国内的な社会保護を同時に追求する制度設計にあった。この体制は三つの基本原則に基づいていた。

第一に、為替レートの安定である。各国通貨はドルを介して金に固定され、為替レートの変動は厳格に制限された。しかし、金本位制とは異なり、国内経済が深刻な不均衡に陥った場合には、IMFの承認の下で為替レートの調整が認められた。これは金本位制の硬直性を緩和し、国内雇用の維持を可能にする仕組みであった。

第二に、資本移動の規制である。ブレトンウッズ体制では、貿易の自由化を推進する一方で、短期資本移動は厳格に規制された。この「資本管制」により、各国は独立した金融政策を維持し、完全雇用政策を追求することができた。これは「不可能な三角形」(トリレンマ)の制約を、資本移動の制限により解決する選択であった。

第三に、国内における完全雇用の優先である。ブレトンウッズ協定の起草過程では、ケインズの影響により、国際収支の調整よりも国内雇用の維持が優先されることが明記された。これは19世紀の金本位制が国内経済を国際的制約に従属させたのとは対照的な制度設計であった。

戦後福祉国家の拡大:数量的検証

埋め込まれた自由主義の下で、各国の社会保障制度は大幅に拡充された。OECD諸国の社会支出(対GDP比)の推移は、この傾向を明確に示している:

主要国の社会支出推移(対GDP比、%)

この30年間で、全ての国で社会支出が大幅に増加している。特にスウェーデンの増加率は顕著であり、「スウェーデンモデル」として注目された。これは市場経済と社会保護の両立が制度的に実現可能であることを示している。

埋め込まれた自由主義の理論的意義

ラギーの「埋め込まれた自由主義」概念は、ポランニーの理論を現代の国際政治経済学に応用した重要な貢献である。この概念は、戦後の国際経済秩序が、19世紀の自由放任主義とは根本的に異なる性格を持っていることを明らかにした。

戦後体制では、国際的な経済統合と国内的な社会保護が制度的に両立された。これは、ポランニーが指摘した市場と社会の根本的対立を、政治的・制度的工夫により克服する試みであった。資本管制、為替管理、完全雇用政策、社会保障制度の拡充は、いずれも市場の破壊的影響から社会を保護する「再埋め込み」の制度的装置として機能した。

1970年代以降の新自由主義的転換

しかし、この制度的妥協は1970年代以降に大きな変化を迎える。ブレトンウッズ体制の崩壊(1971年)、石油危機(1973年、1979年)、スタグフレーションの発生により、埋め込まれた自由主義の制度的基盤が動揺した。

この危機に対する政策的対応として、1980年代以降に新自由主義的改革が推進された。レーガン政権、サッチャー政権に代表されるこの改革は、市場の自己調整能力への信頼を復活させ、政府介入の縮小を目指した。具体的には、資本移動の自由化、金融規制緩和、民営化、労働市場の柔軟化などが推進された。

この転換は、ポランニー的観点から見れば、「脱埋め込み」(disembedding)の再現である。市場原理が再び社会的制約から解放され、労働・土地・貨幣の商品化が進展した。しかし、この過程は新たな社会的矛盾を生み出すことになった。

16.6 現代的含意:グローバル化時代の二重運動

ポランニーの理論は、1990年代以降のグローバル化時代においても重要な分析的視点を提供している。新自由主義的グローバル化の進展は、再び市場と社会の緊張を激化させ、新たな形の「二重運動」を引き起こしている。

金融危機と市場原理主義の限界

アジア通貨危機(1997-1998年)

アジア通貨危機は、資本移動の自由化が新興国経済に与える破壊的影響を示した典型例である。IMFの構造調整プログラムは、緊縮財政、高金利政策、金融市場開放を強制し、深刻な社会的混乱を引き起こした。

この危機は、資本移動の完全自由化が社会的安定と両立しないことを明確に示した。ポランニーの擬制商品論は、この現象を理論的に予見していたといえる。

2008年金融危機とその後の政策対応

2008年の世界金融危機は、金融市場の「自己調整」という観念の破綻を決定的に露呈した。住宅バブルの崩壊から始まった危機は、金融機関の連鎖破綻、実体経済の収縮、大量失業という形で全世界に波及した。

各国政府と中央銀行の対応は、市場原理主義からの明確な転換を示した:

これらの政策は、貨幣・金融が本質的に政治的・制度的管理を必要とする領域であることを改めて確認した。ポランニーの洞察は、この危機対応の理論的根拠を提供している。

現代の社会的保護運動:多様な「再埋め込み」の試み

2008年危機以降、各国で市場の破壊的影響に対する社会的保護を求める運動が活発化している。これは現代版の「二重運動」として理解することができる。

マクロプルーデンス政策の導入

各国の中央銀行は、金融安定を維持するためのマクロプルーデンス政策を導入している。これは金融市場を純粋に自由放任に委ねることの危険性を認識した政策転換である。

資本フロー管理の復活

新興国を中心に、短期資本移動を制御する政策が再導入されている。ブラジルの金融取引税(IOF)、韓国の銀行レバレッジ規制、中国の資本管制などは、資本移動の完全自由化に対する社会的保護の現代的形態である。

所得格差対策と社会保障の拡充

OECD諸国では、グローバル化による所得格差拡大に対応するため、最低賃金の引き上げ、累進課税の強化、ベーシックインカムの実験などが進められている。これらは労働の商品化に対する社会的保護の現代的形態といえる。

理論の限界と課題

ポランニーの理論は現代においても重要な洞察を提供するが、同時に一定の限界も指摘される必要がある。

グローバル化の質的変化

現代のグローバル化は、ポランニーの時代とは質的に異なる特徴を持っている。情報技術の発達、多国籍企業の影響力拡大、金融市場の高度化などにより、国家による経済統制の手段は大幅に制約されている。「再埋め込み」の制度設計は、これらの新しい条件を考慮する必要がある。

環境制約の顕在化

ポランニーの時代には想定されていなかった環境制約が、現代では決定的な重要性を持っている。気候変動、生物多様性の喪失、資源枯渇などの問題は、経済成長と環境保護の両立という新たな課題を提起している。土地の「擬制商品化」に関するポランニーの分析は、この問題に重要な示唆を提供するが、より具体的な制度設計が求められている。

デジタル経済の台頭

プラットフォーム経済、仮想通貨、人工知能などの発展は、従来の経済制度を根本から変革しつつある。これらの新しい現象を、ポランニーの理論枠組みでどのように理解するかは、重要な理論的課題である。

結論:ポランニー理論の現代的意義

以上の検討から明らかなように、ポランニーの理論は現代においても重要な分析的価値を持っている。市場と社会の根本的緊張、擬制商品の問題性、二重運動の動態などの概念は、現代のグローバル化時代の諸問題を理解する上で不可欠な理論的道具である。

同時に、ポランニーの理論を現代に適用する際には、新しい歴史的条件を十分に考慮した理論的発展が必要である。グローバル化、環境制約、デジタル技術などの新しい要因を組み込んだ、より包括的な「大転換」理論の構築が求められている。

ポランニーが提起した根本的問題—市場経済と人間社会の両立可能性—は、現代においてもなお未解決の課題である。彼の理論的遺産を継承し、発展させることは、21世紀の経済制度を設計する上で不可欠な作業といえるだろう。


💡 学習ポイント

擬制商品の概念:労働・土地・貨幣は本来商品ではないが、19世紀の市場社会はこれらを商品として扱った。この「擬制商品化」は社会の基盤そのものを破壊する危険性を孕んでいる。労働は人間の生活活動、土地は自然環境、貨幣は社会制度であり、いずれも販売目的で生産されるものではない。

二重運動の動態:市場の拡張は必然的に社会的保護を求める反対運動を誘発する。19世紀後半の労働運動、社会立法、保護主義の復活は、市場原理に対する社会の自己防衛反応であった。この弁証法的過程は現代においても継続している。

金本位制の社会的コスト:金本位制は貨幣を金という商品に固定することで、国内経済を国際市場の自動調整に従属させた。この制度は確かに国際収支の均衡をもたらしたが、失業と社会不安という膨大な社会的コストを伴った。戦間期の復帰失敗は、この制度的矛盾を決定的に露呈した。

埋め込まれた自由主義の意義:戦後のブレトンウッズ体制は、国際的自由化と国内的社会保護の両立を目指した制度的妥協であった。資本管制、為替管理、完全雇用政策により、市場と社会の緊張を制度的に管理することに成功した。

現代的課題:1980年代以降の新自由主義的転換は、再び市場の「脱埋め込み」を進めた。2008年金融危機、格差拡大、環境問題などは、この転換の帰結として理解できる。現代における「再埋め込み」の制度設計が急務となっている。

📚 参考文献

原典

理論的発展

歴史的実証研究

現代的応用


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