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第5章:リチャード・カンティロン——貨幣の非中立性と国際収支調整メカニズムの発見

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序論

18世紀前半のヨーロッパは、新大陸からの金銀流入とジョン・ローのミシシッピ計画に象徴される革新的金融実験の時代であった。この激動の時代を生きたアイルランド出身の国際金融業者リチャード・カンティロン(Richard Cantillon, c.1680–1734)は、遺著『一般商業の本質に関する試論(Essai sur la Nature du Commerce en Général, 1755)』において、貨幣理論に革命的な視点をもたらした。

カンティロンの最大の貢献は、貨幣が経済に注入される経路と順序が相対価格や所得分配に決定的な影響を与えることを発見した点にある。この洞察は後世「カンティロン効果(Cantillon Effect)」と呼ばれ、貨幣の短期非中立性を歴史上初めて体系的に論証した理論として位置づけられる。さらに彼は、金銀の国際移動を通じた物価調整メカニズムを先駆的に提示し、後にデイヴィッド・ヒュームが精緻化する「価格—スペシー・フロー・メカニズム」の理論的基盤を築いた。

本章では、カンティロンの理論がなぜ18世紀前半という特定の歴史的文脈において生まれたのかを明らかにしながら、彼の貨幣理論の核心である非中立性の概念とその現代的意義を段階的に考察していく。

5.1 歴史的背景:18世紀前半ヨーロッパの金融革命とその教訓

新大陸の金銀とヨーロッパ経済の変容

18世紀初頭のヨーロッパ経済は、16世紀から続く新大陸からの金銀流入によって根本的な変容を遂げていた。スペインの植民地から年間約200トンの銀が流入し、ヨーロッパ全体の貨幣供給量は16世紀以降約4倍に増加していた。この「価格革命」は単なる物価上昇にとどまらず、商業の拡大、都市の成長、そして新たな金融技術の発達を促進した。しかし同時に、地域間や階層間で物価上昇の時期と程度に大きな格差が生じ、従来の経済理論では説明困難な現象が多発していた。

ジョン・ローの実験とその破綻

このような状況下で、スコットランド出身の金融理論家ジョン・ローが1716年にフランスで開始した「ミシシッピ計画」は、紙幣制度の可能性と危険性を劇的に示す歴史的実験となった。ローは、金銀に依存しない紙幣システムによってフランス経済の活性化を図ろうとした。当初、紙幣の発行は商業活動を活発化させ、株式市場も活況を呈した。しかし1720年になると、過度の紙幣発行と投機的バブルが結合し、わずか数ヶ月で金融システム全体が崩壊した。

カンティロンの実体験と理論形成

アイルランド出身の国際金融業者であったリチャード・カンティロンは、この歴史的実験を当事者として経験した数少ない理論家の一人であった。彼は銀行家として、また投機家として、紙幣の発行から流通、そして最終的な崩壊に至る全過程を観察する機会を得た。重要なのは、カンティロンが単なる投機家ではなく、金融現象の背後にある経済メカニズムを理論的に理解しようとする知識人でもあったことである。

ローシステムの崩壊を目の当たりにしたカンティロンは、貨幣が経済に与える影響が決して一様ではないことを深く認識した。新たに発行された紙幣は、まず銀行の顧客である商人や投資家の手に渡り、彼らが購入する贅沢品や不動産の価格を押し上げた。一方、賃金労働者や農民といった経済の末端にいる人々は、物価上昇の影響を受けながらも収入の増加は遅れた。この観察が、後に「カンティロン効果」として知られる貨幣の非中立性理論の出発点となったのである。

5.2 貨幣理論の基礎概念:内在価値と市場価格の分離

貨幣の本質に関する二元的理解

カンティロンは、貨幣の本質を理解するために、従来の単純な交換媒介論を超えた二元的な枠組みを提示した。彼によれば、貨幣は確かに交換の媒介、価値の尺度、価値の貯蔵という基本的機能を果たすが、その価値は二つの異なる原理によって決定される。

第一の原理は「内在価値(intrinsic value)」である。これは金銀貨幣の場合、その金属としての生産費用、すなわち採掘・精錬・輸送・鋳造に要する土地と労働の費用によって決まる。例えば、18世紀初頭のスペイン植民地における銀の採掘では、1オンスの銀を得るために約8日分の労働力と相当量の土地利用が必要であった。この生産費用が銀貨の内在価値の基礎となる。

第二の原理は「市場価格(market price)」である。これは実際の取引において貨幣が示す購買力であり、流通量、人々の嗜好、支払慣行、信用制度の発達程度によって内在価値から乖離しうる。重要なのは、この乖離が一時的な現象ではなく、制度的要因によって持続的に生じうることをカンティロンが認識していた点である。

流通速度の内生性と制度的決定要因

カンティロンのもう一つの重要な洞察は、同一の貨幣量であっても、その「循環の勢い」すなわち流通速度によって経済への影響が大きく異なることを明らかにした点にある。流通速度は決して技術的に固定された定数ではなく、社会の支払慣行、決済の地理的集中度、交通インフラの発達、そして信用制度の普及によって内生的に決定される。

具体的な例として、18世紀のパリとロンドンを比較してみよう。パリでは商人間の決済が年4回の定期市に集中し、その間は手形や帳簿上の相殺によって実際の貨幣の移動を最小化していた。一方、ロンドンでは銀行制度の発達により日常的な決済が可能となり、同じ貨幣量でもより多くの取引を支えることができた。この制度的差異が、両都市における物価水準と商業活動の規模に顕著な違いをもたらしていた。

分析枠組みとしての統合

これらの概念的区分によって、カンティロンは貨幣現象を分析するための精密な理論装置を構築した。彼の枠組みでは、「貨幣量の変化が、いつ、どこで、どのような価格に、どれだけ影響するか」という問いに対して、単純な比例関係ではなく、注入経路、制度的環境、時間的経過を考慮した経路依存的な答えを与えることが可能となった。この方法論的革新こそが、後に詳述する「カンティロン効果」の理論的基盤となったのである。

5.3 カンティロン効果:貨幣注入の経路依存性と分配への影響

理論の核心:貨幣の非中立性

カンティロンの最も革命的な洞察は、貨幣量の増加が経済全体に均等に影響するのではなく、注入される経路と順序によって相対価格と所得分配が決定的に左右されるという発見であった。この現象は後世「カンティロン効果(Cantillon Effect)」と呼ばれ、貨幣の短期非中立性を示す古典的理論として位置づけられている。

従来の素朴な貨幣観では、貨幣量が2倍になればすべての価格が同時に2倍になると想定されていた。しかしカンティロンは、新しい貨幣が「どこから入り、誰の手を経て、どの市場を通って、どの地域に波及するか」によって、全く異なる経済的帰結がもたらされることを論証した。

鉱山発見シナリオ:地理的波及と階層的消費

カンティロンは第一の思考実験として、新たな金銀鉱山の発見による貨幣供給増加を検討した。この場合、最初に貨幣所得が増加するのは鉱山労働者、鉱山経営者、そして鉱山地域の商人たちである。

重要なのは、これらの初期受益者の消費行動である。彼らは追加的な所得を日用品の単純な増加ではなく、より上質な食料、衣服、住居、そして都市部で生産される贅沢品に支出する傾向がある。例えば、ペルーの銀鉱山で働く労働者が所得を倍増させた場合、彼はトウモロコシの消費量を2倍にするのではなく、肉類や輸入された織物、装身具などにより多く支出するであろう。

この消費パターンの変化が、相対価格体系に段階的な変化をもたらす。まず贅沢品と都市部のサービス業で価格上昇が始まり、次第に中間財、そして最終的に基礎的な農産物へと波及する。地理的には、鉱山近傍の都市から始まって、商業ルートを通じて遠隔地へと価格上昇が伝播する。この過程で、鉱山地域と都市部の住民は物価上昇に先行して所得増加の恩恵を受ける一方、農村部の住民は物価上昇の影響を先に受けることになる。

銀行信用シナリオ:金融市場からの波及

第二の思考実験では、銀行による信用拡張を通じた貨幣供給増加を分析した。この場合、新たな流動性は銀行の顧客である商人、投資家、そして信用度の高い借り手に最初に供給される。

これらの経済主体は追加的な流動性を、まず証券、土地、建設プロジェクト、耐久財などの資産市場で運用する。その結果、金融資産価格と不動産価格が最初に上昇し、建設業や耐久財製造業の活況が続く。この段階では、資産を保有する階層と関連産業の労働者が便益を受ける。

しかし、この効果が賃金労働者や農業従事者に波及するには時間がかかる。賃金は通常、年単位の契約や慣行によって決められており、物価上昇に対して粘着的である。また、農産物価格の上昇も、収穫サイクルや流通経路の制約により遅れて現れる。

信用が収縮する局面では、この過程が逆転する。資産価格の急落は銀行の健全性を脅かし、信用供給の一層の収縮を招いた。最終的に、雇用と賃金の調整が実体経済に波及し、経済全体が深刻な不況に陥った。重要なのは、この調整過程が対称的ではないことである。信用拡張の便益を享受した階層と、収縮の負担を負う階層は必ずしも一致しない。

分配効果の理論的含意

これらの分析から、カンティロンは明確な結論を導き出した。貨幣は短期において決して中立的ではない。貨幣注入点に近い経済主体ほど、名目所得の増加という便益を物価上昇に先行して享受し、実質所得を向上させることができる。逆に、貨幣流通の末端にいる経済主体は、所得の増加よりも物価上昇の方が先に到来するため、実質所得が減少する。

この現象は、現代の経済学で言う「インフレ税」の古典的な記述である。貨幣供給の増加は、事実上、貨幣保有者から貨幣発行者およびその近接者への所得移転を意味する。また、資産価格の上昇を通じた不平等の拡大も、カンティロン効果の重要な帰結として理解される。

現代の金融政策、特に量的緩和政策や資産購入プログラムの分配効果を分析する際に、カンティロンの洞察は極めて重要な理論的基盤を提供している。中央銀行がどのような資産を購入し、どのような経路で流動性を供給するかによって、政策の分配効果は大きく異なるのである。

5.4 貨幣数量説への先駆的貢献とその構造的制約

数量説の基本命題への先駆

カンティロンは、貨幣量の増加が一般的な物価水準に上昇圧力を与えるという基本的な関係を認識していた点で、後にアーヴィング・フィッシャーによって精緻化される貨幣数量説の先駆者として位置づけられる。彼は新大陸からの金銀流入がヨーロッパ全体の物価水準を押し上げた「価格革命」の経験から、貨幣量と物価の間に正の相関関係があることを実証的に観察していた。

しかし、カンティロンの独創性は、単純な比例関係を想定するのではなく、この関係が複数の構造的要因によって媒介されることを明確に認識していた点にある。彼によれば、「貨幣が倍増しても、すべての価格が同時に倍増することは決してない」のであり、貨幣量変化の効果は経済の制度的構造によって根本的に規定される。

構造的要因の体系的分析

カンティロンは、貨幣量と物価の関係を媒介する構造的要因を四つの主要な次元で分析した。

第一に、注入経路の重要性である。前節で詳述したように、新しい貨幣がどの経済主体に最初に供給されるかによって、価格上昇のパターンと時期が決定的に異なる。鉱山発見による貨幣増加と銀行信用による貨幣増加では、全く異なる相対価格変化をもたらすのである。

第二に、流通様式と決済制度の役割である。同一の貨幣量増加であっても、決済の地理的集中度、信用制度の発達程度、支払期日の慣行、地域間決済網の整備状況によって、実際の購買力への転換速度が大きく異なる。例えば、年4回の定期市で決済が集中する地域と、日常的な銀行決済が可能な地域では、同じ貨幣量増加でも経済活動への影響は全く異なる規模となる。

第三に、対外貿易構造の制約である。国内の貨幣量が増加しても、その一部は輸入の増加によって海外に流出する。この流出の規模は、その国の輸入嗜好、交易条件、輸送費と関税の水準によって決まる。海外貿易への依存度が高い経済では、貨幣量増加の国内物価への影響は相対的に小さくなる。

第四に、価格の粘着性と代替可能性の相違である。地代や賃金のように契約や慣行によって決められる価格は、貨幣量変化に対して遅れて調整される。一方、贅沢品や投機的資産の価格は、需要の変化に敏感に反応する。この価格調整速度の相違が、貨幣量変化の初期段階における相対価格の歪みを生み出す。

条件付き中立性の理論

これらの分析を総合して、カンティロンは貨幣の中立性について条件付きの結論を提示した。短期においては、貨幣は明らかに非中立的である。注入経路、制度的環境、価格の粘着性により、貨幣量の変化は実質的な経済効果をもたらす。

しかし長期においては、制度の安定性、経済の開放度、生産性の成長率に応じて、漸近的な中立性が達成される可能性がある。ただし、この長期的中立性も絶対的なものではなく、経済構造の変化や制度的革新によって常に修正される動的な概念として理解されるべきである。

この条件付き中立性の概念は、現代の貨幣経済学における短期・長期の区別、そして制度的要因の重要性を先取りした画期的な理論的貢献として評価される。

5.5 国際収支調整メカニズム:価格—スペシー・フロー理論の原型

自動調整メカニズムの発見

カンティロンは、国内の貨幣量変化が国際収支を通じて自動的に調整されるメカニズムを、歴史上初めて体系的に記述した。この理論は後にデイヴィッド・ヒュームによって「価格—スペシー・フロー・メカニズム」として精緻化されるが、その理論的原型はカンティロンの『試論』に見出すことができる。

調整メカニズムの論理は以下の通りである。まず、何らかの理由で国内の貨幣量が増加すると、前節で分析したような経路を通じて国内物価が上昇する。物価上昇は国内商品の国際競争力を低下させ、輸出の減少と輸入の増加をもたらす。その結果、貿易収支が悪化し、金銀の海外流出が発生する。

逆に、金銀の流出によって国内の貨幣量が減少すると、物価下落圧力が生じ、国内商品の競争力が回復する。輸出が増加し輸入が減少することで貿易収支が改善し、金銀の流入が再開される。このようにして、長期的には各国の貨幣量と物価水準は、国際的な競争力を維持する水準に収束する。

制度的制約と調整の複雑性

しかし、カンティロンの独創性は、この自動調整メカニズムが理論的に完全に機能するのではなく、具体的な制度的制約によって修正されることを明確に認識していた点にある。彼は為替制度、輸送費、両替手形の発達、関税制度といった現実的な摩擦要因を分析に組み込んだ。

例えば、金銀の物理的な輸送には相当の費用とリスクが伴う。18世紀の海上輸送では、保険料だけで貨物価値の2-3%、輸送費も同程度が必要であった。また、各国の鋳造制度の相違により、外国貨幣を国内で流通させるためには再鋳造が必要な場合も多く、これにも追加的な費用がかかった。

これらの取引費用は、為替レートが一定の範囲内で変動することを許容する「金銀点(gold/silver points)」を形成する。実際の金銀移送が採算に合うのは、為替レートがこの取引費用を上回って乖離した場合のみである。この概念は、後の国際金本位制の理論において中核的な役割を果たすことになる。

空間的摩擦と調整速度の地域差

カンティロンはまた、国際収支調整の速度と経路が地理的要因によって大きく左右されることを観察した。港湾都市や国際商業の中心地では、貿易量の変化が迅速に物価に反映される。一方、内陸部の農村地域では、輸送費と情報伝達の遅れにより、国際的な価格変化への反応は大幅に遅れる。

具体的な例として、18世紀のアムステルダムとパリの価格動向を比較してみよう。国際金融センターであったアムステルダムでは、新大陸からの金銀流入の影響が数週間以内に商品価格に現れた。一方、内陸に位置するパリでは、同様の価格変化が現れるまでに数ヶ月を要した。この地域格差は、国際収支調整が単一の国民経済レベルで完結するのではなく、地域間の経済統合度によって媒介されることを示している。

政策的含意:貿易政策と調整促進

カンティロンの分析から導かれる政策的含意は、国際収支調整を促進するためには、単に貿易を自由化するだけでは不十分であるということである。輸送インフラの整備、情報伝達システムの改善、決済制度の標準化、そして為替市場の発達が、調整メカニズムの効率性を高める上で不可欠である。

逆に、高い関税や貿易規制は、価格シグナルの伝達を阻害し、調整過程を長期化させる。これは必然的に、より大きな貨幣量変動と、より激しい物価調整を要求することになる。カンティロンのこの洞察は、現代の国際経済政策における構造調整プログラムや貿易自由化政策の理論的基盤の一つとなっている。

5.6 為替制度と国際決済:裁定限界の理論的基盤

鋳貨平価と現実為替レートの乖離

カンティロンは、国際間の貨幣交換において理論的な基準値と現実の市場価格が乖離する構造的要因を詳細に分析した。各国の貨幣は、その含有金銀量に基づく「鋳貨平価(mint par)」という理論的な交換比率を持つ。例えば、フランスのリーブル銀貨が4.5グラムの純銀を含有し、イングランドのシリング銀貨が1.5グラムの純銀を含有する場合、鋳貨平価は1シリング=3リーブルとなる。

しかし現実の為替市場では、このレートから一定の範囲で乖離が生じる。この乖離が生じる理由は、金銀の物理的移送に伴う諸費用にある。海上輸送費、保険料、各国での鋳造費用、そして輸送中のリスクプレミアムを合計すると、貨物価値の5-8%程度のコストが発生する。

したがって、現実の為替レートがこの取引費用の範囲内で鋳貨平価から乖離しても、金銀の実物移送による裁定は採算に合わない。逆に、乖離がこの費用を上回った場合には、商人は金銀を物理的に輸送することで利益を得ることができ、この裁定取引によって為替レートは鋳貨平価近傍に押し戻される。

両替手形による決済効率化

金銀の物理的移送は高コストであるため、通常の国際取引では両替手形(bill of exchange)による決済が選好される。この制度の仕組みは以下の通りである。

ロンドンの商人がパリから商品を輸入する場合、彼はロンドンでフランス宛ての手形を購入し、これをパリの輸出業者に送付する。一方、パリの商人がロンドンから商品を輸入する場合には、逆方向の手形取引が発生する。両方向の貿易が均衡している限り、手形の需給も均衡し、実際の金銀移送を最小限に抑えることができる。

しかし、一方向の貿易が他方を上回る場合、手形市場で需給の不均衡が生じ、為替レートが変動する。例えば、イングランドからフランスへの輸出がフランスからの輸入を上回る場合、フランス宛て手形の供給過多となり、フランス・フラン建ての為替レートは下落する。この変動が前述の取引費用の範囲を超えると、最終的に金銀の実物移送による調整が発生する。

貨幣品位変更の即時的影響

カンティロンはまた、国内の貨幣制度の変更が為替市場に与える即座の影響を鋭く観察した。政府が貨幣の金銀含有量を減らす改鋳(debasement)を実施したり、外国貨幣の国内通用価値を変更したりする場合、為替市場はこの変更を即座に織り込む。

例えば、フランス政府がリーブル銀貨の銀含有量を10%削減した場合、国際市場におけるリーブルの価値は直ちに10%下落する。これは、商人や両替商が貨幣の実質価値を正確に把握し、それに基づいて取引を行うためである。この過程で、品質の高い(改鋳前の)貨幣は国外に流出し、品質の低い(改鋳後の)貨幣が国内に残る、いわゆるグレシャムの法則的な選別が発生する。

裁定バンド理論の先駆

これらの分析によって、カンティロンは後世の「裁定バンド」や「金銀点(gold/silver points)」概念の理論的基盤を提供した。為替レートは鋳貨平価を中心として、取引費用によって規定される一定の範囲内で変動し、この範囲を超えた場合には金銀移送による裁定が働いて元の範囲内に押し戻される。この理論的枠組みは、19世紀の国際金本位制の理解において中核的な役割を果たすことになる。

5.7 銀行制度と信用創造:ローシステム批判を通じた制度設計論

信用創造の経済的機能とその限界

カンティロンは、ジョン・ローのミシシッピ計画の興亡を直接体験したことで、銀行制度と信用創造に関する深い洞察を得た。彼は銀行が預金受入、手形割引、信用供与を通じて「貨幣類似物」を創出する機能を高く評価する一方で、この機能が適切な制度的制約なしに運用された場合の危険性を鋭く指摘した。

信用創造の経済的便益は明確である。まず、決済の効率化により取引コストが大幅に削減される。金銀貨幣による現物決済では、重量の確認、品位の検査、輸送の手配などに相当の時間と費用を要するが、銀行券や手形による決済ではこれらの費用を大幅に圧縮できる。次に、流通速度の上昇により、同一の貨幣量でより多くの経済活動を支えることが可能となる。さらに、満期の異なる資産と負債を組み合わせることで、短期的な流動性需要と長期的な投資需要を効率的にマッチングできる。

ローシステムの教訓:過度な信用拡張の帰結

しかし、カンティロンがローシステムの崩壊から学んだのは、これらの便益が無制限に拡張可能なものではないということであった。ローの銀行は当初、適度な信用供給により商業活動を活性化させた。しかし政府の財政需要と投機的熱狂が結合すると、信用供給は実体経済の吸収能力を大きく上回る規模に膨張した。

過度な信用拡張は、まず資産価格の異常な上昇をもたらした。ミシシッピ会社の株価は1年間で約20倍に上昇し、パリの不動産価格も3倍以上に跳ね上がった。この資産価格上昇は一時的な富の錯覚を生み出し、さらなる投機を誘発した。しかし、この「富」は実体的な生産能力の向上に基づくものではなく、単なる価格と配分の歪みに過ぎなかった。

信用が収縮に転じると、この過程が逆転した。資産価格の急落は銀行の健全性を脅かし、信用供給の一層の収縮を招いた。最終的に、雇用と賃金の調整が実体経済に波及し、経済全体が深刻な不況に陥った。重要なのは、この調整過程が対称的ではないことである。信用拡張の便益を享受した階層と、収縮の負担を負う階層は必ずしも一致しない。

制度的規律の必要性

カンティロンは、これらの経験から、信用創造制度には厳格な制度的規律が不可欠であると結論づけた。第一に、兌換性の確保である。銀行券の金銀兌換を保証することで、過度な発行に対する市場からの制約を機能させることができる。兌換請求の増加は銀行に発行抑制を促し、システム全体の安定性を維持する。

第二に、十分な準備の保持である。銀行は預金者の引出需要や手形の決済需要に対応するため、発行残高に対して一定比率の金銀準備を保持する必要がある。この準備比率は、経済の安定性と効率性のバランスを考慮して決定されるべきである。

第三に、適切な満期管理である。短期負債で長期資産を調達する満期ミスマッチは、流動性危機の原因となりうる。銀行は資産と負債の満期構造を慎重に管理し、予期しない資金需要に対応できる体制を維持する必要がある。

信認と制度設計の相互依存性

カンティロンの最も深い洞察は、銀行制度の機能が最終的に社会的信認に依存することを認識していた点にある。制度が信認を失うと、人々は銀行券ではなく金銀貨幣を選好するようになり、信用創造機能そのものが麻痺する。この信認の維持は、単に個別銀行の健全性だけでなく、制度全体の透明性、予測可能性、そして公正性に依存する。

したがって、効果的な銀行制度の設計には、技術的な健全性指標だけでなく、社会的信認を維持するためのガバナンス機構が必要である。カンティロンのこの認識は、現代の金融規制における「システミックリスク」や「金融安定性」の概念を先取りした画期的な洞察として評価される。

5.8 利子率決定理論と貨幣需要:実物要因と金融的要因の相互作用

利子率の実物的基礎

カンティロンの利子率理論は、貨幣的現象を実物経済の基礎的条件から説明しようとする姿勢に特徴がある。彼によれば、利子率は根本的には三つの実物的要因によって決定される。第一に、社会全体の貯蓄性向と投資機会の相対的な大きさである。人口増加率が高く、新たな土地開発や商業機会が豊富な社会では、投資需要が貯蓄供給を上回り、利子率は高水準となる。逆に、成熟した経済では貯蓄が投資機会を上回り、利子率は低下する傾向にある。

第二に、リスク評価と流動性選好の程度である。政治的不安定や戦争の脅威がある場合、貸し手はより高い利子率を要求する。また、将来の不確実性が高い場合、人々は流動性の高い資産を選好し、長期投資に対してはリスクプレミアムを要求する。

第三に、制度的環境と法的保護の程度である。契約の履行が確実で、債権者の権利が保護される社会では、利子率は相対的に低くなる。逆に、債務不履行のリスクが高い環境では、利子率にリスクプレミアムが上乗せされる。

貨幣量変化の短期的影響

これらの実物的基礎に対して、貨幣量の変化は短期的に利子率に影響を与えうる。新たな貨幣が銀行システムを通じて供給される場合、銀行は追加的な流動性を貸出に回すため、短期的に市場金利が低下する。しかし、この効果は一時的なものに過ぎない。

貨幣量増加による低金利は、投資需要を刺激し、最終的には物価上昇圧力を生み出す。物価上昇が予想されるようになると、名目金利は実質購買力の維持のために上昇し始める。さらに、前述のカンティロン効果により、資産価格の上昇が投機的需要を誘発し、資金需要の増加が金利上昇圧力をもたらす。

金融政策の限界と副作用

カンティロンは、紙幣や信用の拡張によって人為的に金利を引き下げる政策の限界と副作用を鋭く指摘した。短期的な金利低下は確かに投資を刺激するが、この投資は必ずしも経済的に効率的なプロジェクトに向かうとは限らない。低金利によって採算性の低い投資も実行されるようになり、資源配分の効率性が損なわれる可能性がある。

さらに重要なのは、人為的な金利操作が経済循環の振幅を拡大させる可能性があることである。信用拡張による投資ブームは、一時的に経済活動を活発化させるが、実体経済の吸収能力を超えた投資は最終的に収益性の悪化を招く。信用が収縮に転じると、過剰投資の調整が必要となり、経済全体の収縮幅は自然な循環よりも大きくなる。

貨幣退蔵と流通速度の内生性

カンティロンはまた、貨幣需要の変動が経済に与える影響について先駆的な分析を行った。特に重要なのは、貨幣の「貯蔵(hoarding)」現象の分析である。経済的不安や将来への不確実性が高まると、人々は消費や投資を控え、貨幣の形で資産を保有しようとする。

この貨幣退蔵は、同一の貨幣量であっても流通速度を低下させ、経済活動に対する実質的な貨幣供給を減少させる効果を持つ。例えば、金融危機の際には、銀行券への信認が低下し、人々は金銀貨幣の保有を増やそうとする。この行動は集合的には貨幣需要の急増を意味し、物価下落と経済活動の収縮を招く。

制度設計への含意

これらの分析から、カンティロンは貨幣制度の設計において、流通速度の安定性を重視する必要があることを示唆した。貨幣に対する信認の維持、決済制度の効率性、そして金融システムの安定性は、いずれも流通速度の安定化を通じて経済全体の安定に寄与する。

現代の金融政策においても、カンティロンのこの洞察は重要な意味を持つ。中央銀行による流動性供給は、短期的には金利を低下させうるが、その効果の持続性と副作用を慎重に評価する必要がある。また、貨幣需要の変動を予測し、それに応じた政策対応を行うことが、経済安定化のために不可欠である。

5.9 空間経済学の先駆:三層循環モデルと地域的波及

都市—農村—国外の構造的関係

カンティロンの貨幣理論における最も独創的な側面の一つは、経済空間を都市部(商工業)、農村部(農業・地代)、そして国外(交易)の三層に分けて、貨幣の循環と波及を分析した点にある。この空間的視点は、単純な総量分析では捉えきれない貨幣効果の地域差と時間差を明らかにした。

都市部は商工業活動の中心であり、銀行制度や信用取引が最も発達した地域である。新たな貨幣や信用の多くは、まずこの都市部の商人、職人、金融業者に供給される。彼らの所得増加は、都市部で生産される工業製品やサービスの需要を刺激し、これらの分野で最初に価格上昇が発生する。

農村部は土地所有者と農業従事者が中心となる地域である。この地域への貨幣流入は主として地代の支払いを通じて行われるため、都市部での価格上昇よりも遅れて影響が現れる。特に、地代は通常年単位で契約されるため、貨幣量変化の農村部への波及には相当の時間的遅れが生じる。

国外との関係は、輸出入を通じた貨幣の流出入によって規定される。国内での貨幣量増加は輸入需要を刺激し、貨幣の海外流出をもたらす。逆に、輸出の増加は海外からの貨幣流入を促進する。この国際的な貨幣移動は、前述の価格—スペシー・フロー・メカニズムを通じて、国内の貨幣量と物価水準を調整する。

循環メカニズムと波及経路

カンティロンは、これら三層間の貨幣循環を具体的な支払い関係として描写した。都市部で稼得された利潤の一部は、土地購入や地代支払いとして農村部に流れる。農村部で生産された農産物の売却代金は、都市部の商人に支払われる。また、両地域で生産された商品の輸出は、海外からの貨幣流入をもたらし、輸入は貨幣の海外流出を引き起こす。

重要なのは、この循環過程において、貨幣注入の初期地点が全体の波及パターンを決定することである。例えば、都市部での信用拡張による貨幣増加は、まず都市部の工業製品とサービスの価格を押し上げる。この価格上昇は都市部住民の実質所得を低下させる一方で、都市部の生産者の名目所得を増加させる。

農村部への波及は、地代の再契約時期まで遅れる。地代が上昇すると、農村部の地主の所得は増加するが、農業従事者(小作人)の実質所得は減少する可能性がある。さらに、都市部での物価上昇により農産物の相対価格が低下すると、農業部門全体の交易条件が悪化する。

国際的連関と調整速度

国外との連関は、各地域の調整速度と振幅に決定的な影響を与える。港湾都市や国際商業の中心地では、海外からの価格変動が迅速に伝播する。例えば、新大陸からの金銀流入の影響は、まずセビリア、リスボン、アムステルダムといった国際商業都市に現れ、そこから内陸部へと波及した。

交易条件、為替レート、輸送費の変化は、この波及過程を加速または減速させる。海運技術の改良や輸送インフラの整備は情報と物資の流通を促進し、地域間の価格差を縮小する。逆に、戦争や政治的不安定は貿易を阻害し、地域間の経済格差を拡大させる。

現代的意義:地域経済学への先駆

カンティロンのこの空間的分析は、現代の地域経済学や都市経済学の重要な先駆として位置づけられる。彼の三層循環モデルは、金融政策や財政政策の地域的影響を分析する際の理論的枠組みを提供している。

現代の量的緩和政策においても、流動性の注入は金融センターに集中し、そこから製造業地域、農業地域へと段階的に波及する。この過程で生じる地域格差と時間差は、政策の有効性と公平性を評価する上で重要な考慮事項となっている。

カンティロンの洞察は、貨幣政策の効果を「どこで・誰が・何に」という具体的な空間・主体・対象の次元で分析する必要性を示している。この視点は、現代の経済政策においても、地域間格差の是正や均衡ある発展を実現するために不可欠な分析枠組みを提供している。

5.10 現代政策への含意:カンティロン効果を踏まえた制度設計

金融政策の経路依存性と分配効果

カンティロンの非中立性理論は、現代の金融政策に対して重要な含意を提供する。中央銀行による同一規模の金融緩和であっても、その実施経路によって経済への影響は大きく異なる。例えば、国債購入を通じた量的緩和は主として銀行システムに流動性を供給し、銀行の貸出先である企業や住宅購入者に便益をもたらす。一方、社債やMBS(住宅ローン担保証券)の直接購入は、特定の市場や業種に集中的な影響を与える。

この経路依存性は、政策目標の設定と評価において考慮されるべき要素である。物価安定という総量目標の達成だけでなく、資産価格の上昇による富の偏在、信用アクセスの格差拡大、地域間の経済格差といった分配効果を事前に評価し、必要に応じて補完的な政策手段を講じる必要がある。

マクロプルーデンス政策の理論的基盤

カンティロンの信用循環分析は、現代のマクロプルーデンス政策の理論的基盤を提供している。信用拡張は資産価格の上昇と投機的行動を誘発し、経済全体のリスク耐性を低下させる。この過程を制御するためには、レバレッジ比率の規制、LTV(Loan-to-Value)やDTI(Debt-to-Income)比率の制限、景気循環に応じた逆相関的資本バッファの設定などが有効である。

重要なのは、これらの規制が単なる技術的制約ではなく、カンティロンが重視した「信認の代替」として機能することである。金本位制下の兌換義務に代わって、現代の金融システムでは透明性の高いルールベースの規制が、市場参加者の信認を維持し、過度なリスクテイクを抑制する役割を果たす。

国際収支調整と為替政策

カンティロンの価格—スペシー・フロー理論は、現代の為替政策と国際収支管理に対しても示唆を与える。国際的な資本移動の自由化により、調整メカニズムの速度は大幅に向上したが、同時に短期的なショックの影響も拡大した。

政策当局は、貿易の開放度、輸送・通信インフラの発達程度、金融市場の統合度といった構造的要因を考慮して、適切な為替政策と資本フロー管理を設計する必要がある。カンティロンの裁定バンド概念は、為替の過度な変動を抑制しつつ、基本的な調整機能を維持するための政策枠組みとして応用可能である。

分配政策とインフレ税の管理

カンティロン効果の最も重要な含意は、貨幣政策が本質的に分配政策でもあるということである。インフレーションは事実上の税として機能し、その負担は社会全体に均等に配分されるわけではない。貨幣保有者、固定所得者、賃金労働者は相対的に負担が重く、資産保有者、変動所得者、債務者は相対的に軽い。

この分配効果を管理するためには、定額給付による直接的な所得補償、累進税制による再分配の強化、年金や最低賃金の物価連動メカニズムの改善などが考えられる。重要なのは、これらの政策を貨幣政策と統合的に設計し、マクロ経済の安定と社会的公正の両立を図ることである。

制度設計の統合的視点

カンティロンの理論から導かれる最も重要な教訓は、貨幣制度を単独で設計することの限界である。金融政策、財政政策、為替政策、分配政策は相互に関連しており、それぞれの政策効果は他の制度的環境によって大きく左右される。

現代の政策立案においては、カンティロンが示した経路依存性、制度的制約、空間的波及、時間的遅れといった要因を総合的に考慮した制度設計が求められる。この統合的視点こそが、18世紀の金融革命を経験したカンティロンが現代に残した最も重要な遺産なのである。

5.11 思想史的位置づけと後続理論への影響

総合的理論体系の構築

カンティロンの『一般商業の本質に関する試論』は、18世紀前半の経済思想において極めて独特な位置を占めている。この著作の特徴は、貨幣数量説、国際収支論、空間経済学、銀行信用論、そして企業者理論(不確実性を担う entrepreneur 概念の先駆)を有機的に連関させた総合的理論体系を提示した点にある。

従来の経済思想が特定の問題領域に焦点を当てた部分的分析にとどまっていたのに対し、カンティロンは貨幣現象を経済システム全体の動態的プロセスとして捉えた。この統合的視点は、後の古典派経済学の発展において重要な理論的基盤を提供することになる。

古典派経済学への影響

カンティロンの理論的貢献は、18世紀後半から19世紀前半にかけての古典派経済学の発展に多方面にわたって影響を与えた。最も直接的な影響は、デイヴィッド・ヒュームの国際収支論に見ることができる。ヒュームの「価格—スペシー・フロー・メカニズム」は、カンティロンの先駆的分析を精緻化し、数学的に定式化したものである。

フランソワ・ケネーの「経済表(Tableau Économique)」もまた、カンティロンの三層循環モデルから重要な着想を得ている。ケネーの部門間循環分析は、カンティロンの都市—農村—国外の空間的循環を、より抽象化された理論モデルとして発展させたものと理解できる。

アダム・スミスの『国富論』における賃金・利潤・地代の分配論も、カンティロンの所得分配分析の影響を受けている。特に、市場価格と自然価格の区別、そして競争を通じた価格調整メカニズムの分析において、カンティロンの内在価値と市場価格の概念的区分が重要な理論的基盤となっている。

オーストリア学派への系譜

19世紀後半から20世紀前半にかけて、カンティロンの理論的洞察はオーストリア学派の経済学者によって再発見され、発展させられた。フリードリヒ・ハイエクは、カンティロンの景気循環分析に注目し、信用拡張が資源配分の歪みを生み出し、最終的に経済調整を不可避にするメカニズムを精緻化した。

ハイエクの「オーストリア景気循環論」は、カンティロンの信用創造批判を理論的に継承し、現代的な分析枠組みに発展させたものである。人為的な金利操作が投資の時間構造を歪め、持続不可能な経済拡張を生み出すという分析は、カンティロンのローシステム批判の現代版として理解できる。

また、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスの貨幣理論における「回帰定理」も、カンティロンの貨幣の内在価値概念から重要な示唆を得ている。貨幣の価値がその商品としての価値に遡って説明されるという考え方は、カンティロンの金銀貨幣論の現代的展開である。

現代経済学への再発見

20世紀後半から21世紀にかけて、カンティロンの理論的貢献は新たな文脈で再評価されている。特に重要なのは、中央銀行のバランスシート政策や量的緩和政策の分析において、カンティロン効果の概念が復活していることである。

現代の金融政策分析では、政策の総量効果だけでなく、その分配効果や構造効果が重視されるようになっている。この分析視点は、まさにカンティロンが18世紀に提起した問題意識の現代的継承である。

また、行動経済学や制度経済学の発展により、カンティロンが重視した制度的要因、空間的要因、心理的要因(信認や期待)の重要性が再認識されている。貨幣現象を純粋に技術的・数学的に分析するのではなく、社会的・制度的文脈の中で理解する必要性は、カンティロンの基本的な方法論的立場と一致している。

現代的意義の総括

カンティロンの最も重要な遺産は、貨幣現象を動学的・空間的・制度的な複合システムとして捉える分析視点である。この視点は、現代の複雑な金融システムを理解し、適切な政策対応を設計する上で、依然として重要な理論的指針を提供している。

18世紀の金融革命を経験したカンティロンの洞察は、21世紀のデジタル金融革命を経験する我々にとっても、貴重な知的遺産として機能し続けているのである。


💡 学習ポイント

カンティロンの貨幣理論から学ぶべき核心的な概念は、貨幣の非中立性である。貨幣量の変化は経済全体に均等に影響するのではなく、注入される経路と順序によって相対価格、所得分配、そして地域的波及が決定的に左右される。この「カンティロン効果」は、現代の金融政策分析においても重要な理論的基盤となっている。

また、カンティロンは貨幣数量説の先駆者でありながら、単純な比例関係を否定し、条件付きの関係を提示した。貨幣量と物価の関係は、流通制度の発達程度、貿易構造の開放度、価格の粘着性といった構造的要因に依存するため、一律の法則として適用することはできない。

国際収支調整メカニズムにおいては、為替レート、輸送費、手形決済、関税制度といった制度的摩擦が調整の速度と幅を規定する。この洞察は、後のヒュームによる価格—スペシー・フロー・メカニズムの理論的基盤となった。

銀行制度と信用創造については、兌換性、準備率、満期管理といった規律が失われると、資産市場から実体経済へと段階的に不均一な調整が波及することを示した。この分析は現代のマクロプルーデンス政策の理論的基盤を提供している。

最後に、カンティロンの空間経済学的視点は、都市—農村—国外の三層循環を通じて貨幣が流通し、この循環パターンが価格上昇の順序と所得分配を決定することを明らかにした。この統合的な分析視点は、現代の地域経済政策や金融政策の地域格差分析においても重要な理論的指針となっている。

📚 参考文献


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