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ジョン・ロックが生きた17世紀後半のイングランドは、政治的激変と経済的混乱が同時進行する時代であった。1688年の名誉革命によって絶対王政が終焉を迎える一方で、フランスとの長期戦争は国家財政を逼迫させ、既存の貨幣制度は深刻な機能不全に陥っていた。この危機的状況において、『統治二論』で政治哲学の新たな地平を切り開いたロックは、同時に経済理論家としても画期的な貢献を果たした。
ロックの貨幣論の核心は、貨幣を単なる交換媒体ではなく、社会契約に基づく度量衡として理解する点にある。彼は1691年の『利子引下げと貨幣価値引上げの帰結についての若干の考察』と1695年の『貨幣価値引上げについてのさらなる考察』において、利子率の市場決定原理と通貨基準の不可侵性を論理的に導出した。この理論的革新は、単に当時の政策論争への応答にとどまらず、近代資本主義経済の制度的基盤を理論的に正当化する意義を持っていた。
なぜロックの貨幣論が歴史的に重要なのか。第一に、彼は利子率を「資本の価格」として理解し、その水準が市場の需給関係によって決定されることを明確に論じた最初の理論家の一人である。第二に、通貨の名目価値と実質価値を厳密に区別し、政府による恣意的な名目調整が経済秩序に与える破壊的影響を理論的に解明した。第三に、所有権理論と貨幣理論を統合することで、私有財産制と市場経済の正当性を包括的に論証した。
本章では、1690年代イングランドの制度的文脈を詳細に分析しつつ、ロックの理論的洞察が現代経済学の基本原理にいかに連なるかを明らかにする。特に、大改鋳論争における彼の政策提言が、通貨制度の安定性と市場経済の効率性をいかに両立させようとしたかに焦点を当てる。
1688年の名誉革命は、単なる王朝交代にとどまらず、イングランドの財政・金融制度を根本的に変革する転換点となった。ジェームズ2世の退位とウィリアム3世の即位によって確立された立憲君主制は、王権の財政的自立を制約し、議会による税収承認と国債発行の統制を制度化した。この政治的変化が、なぜ貨幣制度の危機と直結したのか。
新体制下でイングランドは、ルイ14世のフランスに対する長期戦争(九年戦争、1688-1697年)に突入した。この戦争は従来の封建的軍事制度では対応不可能な規模と持続性を要求し、近代的な常備軍と海軍力の維持には年間約400万ポンドという前例のない戦費が必要となった。しかし既存の税収システムでは年間200万ポンド程度の収入しか見込めず、残りの200万ポンドを国債発行によって調達せざるを得なかった。
この財政的逼迫は、既存の銀貨制度の構造的欠陥を露呈させた。17世紀後半のイングランドで流通していた銀貨の大部分は、ハンマーによる手打ち製法(hammered coinage)で製造された旧式の硬貨であった。これらの硬貨は縁が滑らかで不規則な形状を持つため、刃物で周縁部を削り取る「クリッピング」が容易であった。法定重量4ペニーウェイト(約6.2グラム)のシリング銀貨が、実際には2-3ペニーウェイトまで軽量化されることも珍しくなかった。
クリッピングされた銀貨は、なぜ市場で受け入れられ続けたのか。理由は二重の価格体系にあった。日常的な小額取引では、慣習的に名目額面での受け渡しが行われていたが、大額取引や国際決済では重量による価値評価が適用された。この結果、同じ「1シリング」という名称でも、文脈によって実質価値が大きく異なる状況が生まれた。
さらに深刻だったのは、グレシャムの法則による良質貨幣の退蔵・流出である。重量の十分な新鋳貨や外国銀貨は、クリッピングされた劣化貨と同じ名目価値で流通させられるため、所有者は良質貨を溶解して銀地金として輸出するか、私的に退蔵する合理的誘因を持った。市場に残るのは劣化した銀貨ばかりとなり、通貨制度全体の信用が失墜した。
1694年のイングランド銀行設立は、この危機的状況への制度的対応として位置づけられる。同行は政府に120万ポンドを貸し付ける見返りに、銀行券発行権と政府預金管理権を獲得した。これによって、硬貨不足を銀行券で補完し、国債の流通市場を整備する新たな金融システムが始動した。
しかしこの金融革新は、貨幣制度をさらに複雑化させた。市場では硬貨、銀行券、手形、国債が併存し、それぞれ異なる価値評価基準で取引された。特に問題となったのは、銀行券と劣化銀貨の交換比率であった。銀行券は理論的には正量の銀貨との兑換を約束していたが、市場に流通する銀貨の大部分がクリッピングされている状況では、実際の兑換比率は不安定にならざるを得なかった。
このような構造的矛盾の中で、財務次官ウィリアム・ラウンズが1695年に提案したのが、劣化銀貨の名目価値を25%引き上げる政策であった。具体的には、実重量3ペニーウェイトまで軽量化されたシリング銀貨を「1シリング3ペンス」として法定通用させることで、名目価値と実質重量の乖離を解消しようとした。
ラウンズの提案は一見合理的に見えた。既に市場で流通している劣化貨の現実を追認し、混乱を最小限に抑えて通貨制度を安定化させる実用的解決策と考えられたからである。しかしロックは、この提案が通貨制度の根本原理を破壊する危険な先例となることを直観的に理解していた。
名目価値の恣意的変更は、なぜ問題なのか。ロックの洞察は、貨幣が単なる交換媒体ではなく、社会的な度量衡システムの基礎であることの認識にあった。1ポンドや1シリングという単位の意味を政府が一方的に変更することは、すべての契約、債務、価格体系の基盤を不安定化させる。この理論的洞察が、1695-96年の大改鋳論争の核心となったのである。
1691年の『利子引下げと貨幣価値引上げの帰結についての若干の考察』において、ロックが直面したのは、当時支配的だった重商主義的政策観への根本的挑戦であった。重商主義者たちは、利子率を法定上限で規制することによって商業活動を促進し、国富を増大させることができると考えていた。具体的には、利子率の法定上限を6%から4%に引き下げることで、資本コストを人為的に削減し、投資と貿易を活性化させようとした。
しかしロックは、この政策観が市場経済の基本的メカニズムを誤解していることを鋭く指摘した。彼の論証は、利子率を「資本の価格」として理解することから始まる。商品の価格が需要と供給の相互作用によって決定されるのと同様に、利子率もまた資金に対する需要と供給によって決定される市場価格である。政府が法令によって価格を人為的に設定しようとすることは、市場メカニズムを歪曲し、かえって経済効率を低下させる結果をもたらす。
ロックの分析で特に洞察に富むのは、利子率規制が引き起こす「信用割当」の問題である。法定上限が市場均衡利子率を下回る水準に設定されると、資金需要が資金供給を上回る超過需要が発生する。この状況下で、貸し手はより安全で信用度の高い借り手を優先的に選択する合理的誘因を持つ。
その結果、最も資金を必要とする中小商人や農民は、正規の金融市場から排除されることになる。彼らは法定利率での借入れができないため、より高いコストでの非公式な資金調達(高利貸し、物々交換、担保の過大な提供など)を余儀なくされる。これは政策目標とは正反対の結果である。法定利率の引下げは、表面的には資本コストを削減するように見えるが、実際には資金アクセスの不平等を拡大し、経済活動を萎縮させる。
ロックは利子率の決定要因を体系的に分析し、三つの主要な要素を特定した。第一は流通貨幣量とその回転速度である。経済に流通する貨幣量が増加し、その回転速度が高まると、資金の流動性が改善され、貸し手間の競争が激化する。この競争圧力が利子率の低下をもたらす。
第二は投資機会の収益性である。商業や製造業における利潤率が高い場合、企業家は高い利子率でも借入れを行う意欲を持つ。逆に収益機会が乏しい場合、資金需要は減少し、利子率は低下する。この関係は、利子率が実体経済の収益性と密接に連動していることを示している。
第三は信用制度の発達水準である。担保制度、契約執行メカニズム、情報開示システムなどが整備されると、貸し手のリスクが軽減され、より低い利子率での貸出しが可能になる。制度的基盤の改善こそが、持続的な利子率低下の鍵となる。
ロックの理論的貢献の核心は、法規制と市場メカニズムの関係についての深い理解にある。彼は、政府が法令によって利子率を引き下げることは、温度計の目盛りを変更することで気温を下げようとするのと同様に無意味であることを明確に論じた。
真の利子率低下は、経済の基本的条件の改善によってのみ実現される。貨幣供給の適切な管理、商業機会の拡大、信用制度の整備といった構造的改革こそが、持続可能な低利子率環境を創出する。法定規制は表面的な数値を変更するにすぎず、実質的な経済効果をもたらさない。
この洞察は、現代の金融政策理論における「自然利子率」概念の先駆的な理解として評価される。ヴィクセルが後に体系化した自然利子率と市場利子率の区別は、ロックの市場決定論の延長線上に位置づけることができる。市場利子率が自然利子率から乖離する場合、その調整は市場メカニズムを通じて行われるべきであり、人為的な規制によって強制されるべきではない。
ロックの利子率理論は、単なる学術的議論を超えて、具体的な政策的含意を持っていた。彼の提言は、政府が市場メカニズムを尊重し、制度的基盤の整備に専念すべきであることを示していた。利子率の人為的操作ではなく、法制度の改善、情報の透明性向上、契約執行の効率化こそが、健全な金融市場の発展に寄与する。
この政策観は、18世紀以降のイギリス経済政策の基調となった。アダム・スミスの『国富論』における「見えざる手」の概念や、19世紀の自由貿易政策の理論的基礎は、ロックの市場決定論に深く根ざしている。現代的視点から見れば、ロックの理論は金融市場の効率性仮説や合理的期待理論の原型として理解することができる。
1695年の『貨幣価値引上げについてのさらなる考察』において、ロックが提示した貨幣理論の最も革新的な側面は、貨幣を社会的な度量衡システムとして理解した点にある。彼の有名な定式化「1シリングとは既知の品位を有する銀の一定重量を表す記号である」は、単なる定義にとどまらず、貨幣制度の本質に関する深い洞察を含んでいた。
ロックにとって貨幣とは、長さを測るヤードや重さを測るポンドと同様の度量衡である。1ヤードという単位が特定の物理的長さを指示するように、1シリングという単位は特定の重量・品位の銀を指示する。この理解から導かれる重要な含意は、度量衡の恣意的変更が測定システム全体の信頼性を破壊するということである。
政府が1シリングの定義を変更することは、1ヤードの長さを一方的に変更することと本質的に同じ行為である。このような変更は、既存のすべての契約、価格、債務関係の基礎を不安定化させ、社会的信頼を根本から損なう。ロックの洞察は、貨幣制度が単なる技術的な交換手段ではなく、社会秩序の基盤となる制度的インフラストラクチャーであることの認識にあった。
財務次官ウィリアム・ラウンズの名目価値引上げ提案は、表面的には実用主義的な解決策に見えた。クリッピングによって実重量が25%減少した銀貨を、名目価値を25%引き上げることで正常化させるという論理は、数学的には整合的であった。しかしロックは、この提案が見落としている根本的な問題を鋭く指摘した。
第一に、ラウンズ提案は「同じパンを昨日より高い目盛りの尺度で測る」ことに等しい詐術である。実質的な価値は何も変化していないにもかかわらず、名目的な表記を変更することで問題が解決されたかのような錯覚を生み出す。これは経済問題の本質的解決ではなく、単なる会計上の操作にすぎない。
第二に、より深刻な問題は、この政策が既存の契約関係に与える分配的影響である。地代、賃金、年金、債務などの長期契約は、すべて既存の貨幣単位を前提として締結されている。名目価値の一方的な変更は、これらの契約の実質価値を恣意的に変更し、債権者と債務者の間の利益配分を政府の判断によって決定することを意味する。
ロックの批判の背後には、政府権力の限界に関する政治哲学的な信念がある。『統治二論』で展開された社会契約論において、政府の正当性は個人の自然権(生命、自由、財産)の保護にあると論じられていた。既存の契約関係を一方的に変更する権力は、この基本的な政府機能を逸脱する危険な権力拡張である。
貨幣制度における契約の神聖性は、私有財産制の根幹に関わる問題である。個人が自らの労働と判断に基づいて締結した契約の条件を、政府が事後的に変更することは、財産権の本質的な侵害に当たる。ロックの貨幣理論は、この意味で彼の政治哲学と深く連動している。
ロックの分析で特に先見的だったのは、名目価値変更が国際的な信用関係に与える影響への注目である。イングランドの貨幣制度は、国内取引だけでなく国際貿易と為替取引の基盤でもあった。1シリングの定義を恣意的に変更することは、外国の商人や投資家に対してイングランドの貨幣制度の不安定性を示すシグナルとなる。
国際市場では、各国の貨幣は重量・品位に基づいて評価される。名目価値の人為的操作は、短期的には国内の混乱を回避できるかもしれないが、長期的には国際的な信用失墜を招き、為替レートの不安定化と資本流出を引き起こす。ロックは、この国際的な視点を欠いたラウンズ提案の近視眼性を厳しく批判した。
ロックの貨幣理論は、強固なメタリズム(金属主義)の立場に立っている。この立場は、貨幣の価値が金銀という実物資産に基づくべきであり、政府の信用や法的強制力だけでは十分な価値の裏付けにならないという信念に基づいている。この理論的立場は、後の「計算単位の安定」原則や金本位制の理論的基礎となった。
しかし現代的視点から見れば、ロックのメタリズムには明らかな限界もある。銀行信用や不換紙幣の発展、さらには現代のデジタル通貨の出現は、貨幣価値の源泉が必ずしも金属的裏付けに依存しないことを示している。それでも、ロックが提起した「度量衡としての貨幣」という基本的洞察は、現代の貨幣理論においても重要な意味を持ち続けている。
ロックとラウンズの論争は、単なる学術的議論にとどまらず、具体的な政策決定に大きな影響を与えた。議会での激しい討論を経て、最終的にロックの主張に近い立場が採用され、1696年の大改鋳が実施されることになった。この政治的勝利は、ロックの理論的説得力だけでなく、彼の政治的影響力と当時の支配層の利害関係を反映していた。
大改鋳の決定は、短期的には深刻な経済混乱を引き起こしたが、長期的には通貨制度の信頼性回復と国際的地位の向上をもたらした。この歴史的経験は、通貨制度改革における理論的一貫性と政治的実行力の重要性を示す貴重な事例となっている。
1696年の大改鋳は、ロックの貨幣理論を実際の政策として実現した歴史的実験であった。議会が採用した政策は、ロックが提唱した三つの基本原則に忠実に従っていた。第一に、劣化した旧銀貨の強制回収と溶解による完全な除去。第二に、新銀貨への機械的縁刻(ミリング)技術の導入によるクリッピング防止。第三に、名目額面の厳格な維持による度量衡システムの連続性確保。
これらの原則の背後には、貨幣制度改革に関するロックの包括的な理論的ビジョンがあった。彼は、通貨制度の信頼性が技術的な偽造防止策と制度的な一貫性の両方に依存することを理解していた。機械的ミリング技術は物理的な貨幣操作を困難にするが、それだけでは不十分である。より重要なのは、政府が度量衡としての貨幣単位を恣意的に変更しないという制度的コミットメントである。
大改鋳の実施は、予想通り深刻な短期的混乱を引き起こした。旧銀貨の回収と新銀貨の供給の間には必然的にタイムラグが存在し、この期間中に流通貨幣量が大幅に減少した。具体的には、1696年春から夏にかけて、市場で利用可能な銀貨の総量は平常時の30-40%まで落ち込んだと推定される。
この貨幣供給の急激な収縮は、決済システム全体に連鎖的な影響を与えた。小売取引では現金不足により物々交換が復活し、金融市場では手形割引率が急騰した。イングランド銀行の銀行券に対する需要は急増したが、同行の発行能力には限界があり、流動性不足を完全に補完することはできなかった。
しかし重要なのは、この短期的混乱が予測可能であり、かつ一時的な性格を持っていたことである。ロックは改革前から、新貨幣制度への移行期間中に決済上の困難が生じることを認識していた。彼の政策提言は、この短期的コストを長期的利益と比較衡量した結果であった。
大改鋳の長期的効果は、ロックの理論的予測を裏付けるものであった。新銀貨制度の確立により、国内外の貨幣制度に対する信頼が著しく向上した。特に重要だったのは、国際為替市場におけるポンド・スターリングの地位向上である。統一された品質を持つ新銀貨の流通により、外国商人はイングランド貨幣の価値をより正確に評価できるようになった。
さらに、機械的ミリング技術の導入は、偽造とクリッピングの両方に対する効果的な防御策となった。縁に刻まれた精密な模様は、硬貨の周縁部を削り取る行為を容易に発見可能にし、クリッピングの経済的誘因を大幅に削減した。この技術革新は、貨幣制度の物理的基盤を強化し、法的規制だけでは達成できない安定性をもたらした。
ロックの分析で特に先見的だったのは、金貨(ギニー)と銀貨の法定比価設定に関する警告である。当時のイングランドは事実上の二本位制を採用しており、金貨と銀貨の両方が法貨として流通していた。しかし、法定比価と市場比価の間に乖離が生じると、グレシャムの法則により一方の貨幣が市場から駆逐される問題が発生する。
ロックは、ギニー金貨の法定価値が市場価値に比べて過大評価されていることを指摘した。この過大評価により、銀貨を溶解して銀地金として輸出し、その代金で割安な金貨を購入する裁定取引が利益をもたらす状況が生まれていた。この問題は1717年にニュートンが造幣局長として実施したギニーの法定値下げまで持続し、イングランドの事実上の金本位制移行の一因となった。
大改鋳の成功は、理論的正当性だけでなく、政治的実行力の重要性も示している。ロックの提案が採用されたのは、彼の学術的権威だけでなく、名誉革命後の新体制における彼の政治的影響力によるところが大きい。改革の実施には巨額の財政負担(推定で約270万ポンド)が必要であり、議会の承認と国民の理解が不可欠であった。
この歴史的経験は、通貨制度改革における理論と政治の相互作用を示す貴重な事例である。優れた理論的設計も、政治的支持と実行能力を欠けば実現不可能である。逆に、政治的妥協だけに基づく改革は、長期的な制度的安定性を欠く危険がある。ロックの成功は、理論的一貫性と政治的現実主義を巧みに結合した結果であった。
ロックの貨幣数量説は、単純な比例関係を超えた洞察に富む分析を含んでいた。彼は確かに「貨幣量の増減が一般物価水準に影響する」という基本的な数量説を受け入れていたが、同時に「流通の速さ(quickness of circulation)」の重要性を強調することで、より動的な貨幣理論を展開した。
ロックの洞察の核心は、経済活動の規模が単純に貨幣の存在量だけでなく、その利用効率によって決定されるという認識にあった。同じ1ポンドの銀貨でも、それが年間に何回の取引で使用されるかによって、支えることのできる経済活動の規模は大きく異なる。この理解は、貨幣を静的な「もの」ではなく、動的な「流れ」として捉える現代的な貨幣観の先駆となった。
ロックは、信用制度の発達が流通速度に与える影響を詳細に分析した。手形取引、銀行預金、信用状などの金融技術の普及により、物理的な硬貨を直接移転することなく決済を行うことが可能になる。これらの信用手段は、実質的に貨幣の流通速度を高める効果を持つ。
例えば、ロンドンの商人がヨークシャーの毛織物業者から商品を購入する場合、従来は銀貨を物理的に輸送する必要があった。しかし手形制度の発達により、ロンドンの銀行が発行した手形をヨークシャーの銀行が割り引くことで、硬貨の物理的移動なしに決済が完了する。この過程で、同じ硬貨がより多くの取引を支えることが可能になる。
この分析は、現代の「貨幣乗数」理論の原型として理解することができる。ロックは銀行の信用創造機能を完全に理論化してはいないが、信用制度が実質的な貨幣供給量を増大させる効果を直観的に理解していた。
ロックの「貨幣量×流通速度」の概念は、200年後にアーヴィング・フィッシャーが定式化した交換方程式(MV=PT)の明確な先駆である。フィッシャー方程式における貨幣量(M)と流通速度(V)の区別は、ロックの理論的洞察に直接的に依拠している。
しかしロックの分析には、フィッシャー理論にはない制度的視点が含まれている。フィッシャーが主として統計的・数学的関係に焦点を当てたのに対し、ロックは流通速度の変化を引き起こす制度的要因(法制度、信用慣行、決済技術など)により大きな注意を払った。この制度的アプローチは、現代の新制度派経済学や貨幣制度論との親和性を持っている。
ロックの数量説には明らかな限界も存在する。最も重要なのは、銀行の信用創造機能に関する理論的理解の不足である。18世紀初頭の段階では、銀行券や預金通貨の内生的創造メカニズムは十分に発達しておらず、ロックがこれらの現象を体系的に分析できなかったのは当然である。
また、ロックの分析は主として長期的な価格水準の決定に焦点を当てており、短期的な貨幣需要の変動や景気循環との関係については十分に展開されていない。これらの問題は、後のヒューム、スミス、そして19世紀の古典派経済学者たちによって徐々に解明されていくことになる。
それでも、ロックの数量説は貨幣理論史において重要な里程標である。彼の理論は、貨幣を単なる交換媒体ではなく、経済活動全体を支える制度的インフラストラクチャーとして理解する視点を確立した。この包括的な貨幣観は、現代の貨幣理論においても基本的な重要性を保持している。
『統治二論』におけるロックの労働所有権論は、貨幣論にも重要な含意を持つ。自然状態では、所有の正当性は各人の労働の混入に由来し、腐敗(spoiling)する以前の占有に限界がある。しかし、
ここには、価値創出の源泉としての労働強調(萌芽的な労働価値観)と、貨幣を通じた蓄積・投資の正当化が一体となった、近代市民社会の制度的基礎が見てとれる。
それでも、ロックが確立した「基準の安定」「名目改竄への懐疑」「金利の市場決定」という三原則は、その後のイギリス貨幣制度の背骨となり、ニュートン、ヒューム、スミスらの議論へと引き継がれていく。
ジョン・ロックの貨幣理論は、17世紀末の特定の歴史的状況への対応として生まれたが、その理論的洞察は時代を超えた普遍的価値を持っている。現代の中央銀行制度における物価安定目標、金融政策の市場メカニズムへの依存、そして通貨制度の制度的基盤の重要性など、ロックが確立した基本原則は現在でも通貨制度運営の指針となっている。
同時に、デジタル通貨の登場や気候変動への対応など、ロックの時代には想像できなかった新たな課題も生まれている。しかし、「社会的合意に基づく価値保証」「市場メカニズムと制度的基盤の調和」「度量衡としての貨幣単位の安定性」といった彼の核心的洞察は、これらの新しい課題に対しても有効な理論的指針を提供し続けている。
ロックの最も重要な貢献は、貨幣制度を単なる技術的な交換手段ではなく、社会契約と制度的信頼の上に築かれた社会的インフラストラクチャーとして理解する視点を確立したことである。この包括的な貨幣観は、政治哲学と経済理論を統合した彼の思想体系の核心であり、現代の貨幣理論においても基本的な重要性を保持している。
ロックの貨幣理論から現代に継承された重要な原則は以下の通りである。利子率の市場決定原理は、中央銀行の政策金利操作が直接統制ではなく市場メカニズムを通じた間接調整であることの理論的根拠となっている。度量衡としての貨幣概念は、現代の物価安定政策の基礎であり、政府による恣意的な名目操作への警戒は通貨制度の信頼性維持に不可欠である。
大改鋳の経験が示した制度改革の原則——技術的改良と制度的一貫性の組み合わせ、短期的コストと長期的利益の慎重な比較衡量、政治的実行力と理論的正当性の統合——は、現代の通貨制度改革においても重要な指針となる。
さらに、ロックの数量説における貨幣量と流通速度の相互作用の理解は、現代の量的金融緩和政策の効果と限界を分析する上で重要な示唆を与えている。そして、所有権理論と貨幣理論の統合による市場経済の正当化は、現代の自由主義経済体制の理論的基盤の一部を形成している。
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