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デイヴィッド・ヒューム(David Hume, 1711–1776)が生きた18世紀前半のスコットランドは、1707年のイングランドとの合同によって政治的統合を果たしたものの、経済的には依然として後進地域であった。この時代、ヨーロッパ各国は重商主義政策の下で金銀蓄積に血眼になり、貿易収支の黒字こそが国力の源泉と信じられていた。しかし、ヒュームはこうした通念に根本的な疑問を投げかけた。なぜなら、もし各国が同時に輸出超過を目指すならば、論理的にそれは不可能だからである。
ヒュームの貨幣論は、この矛盾を解決する鍵として、国際的な金銀流動による自動調整機構を提示した。彼の主著『道徳・政治・文学論集(Essays, Moral, Political, and Literary)』(1752年)に収められた「貨幣について(Of Money)」「利子について(Of Interest)」「貿易収支について(Of the Balance of Trade)」「公信用について(Of Public Credit)」の四論考は、単なる貨幣理論を超えて、開放経済における価格・貿易・金融の相互連関を体系的に分析した、18世紀マクロ経済学の金字塔である。
ヒュームの理論的貢献の核心は、貨幣が経済に与える影響を時間軸で二分した点にある。短期的には、新たに流入した貨幣は確かに経済活動を刺激し、生産や雇用の増加をもたらす。これは、前章で見たカンティロンの「注入経路効果」と共通する洞察である。しかし長期的には、貨幣量の増加は単に物価水準の上昇に帰着し、実質的な経済変数(生産量、雇用、利子率)には恒常的な影響を与えない。この「貨幣の長期中立性」という概念は、後の古典派経済学の中核的命題となった。
さらにヒュームは、開放経済においては国内の物価上昇が必然的に貿易収支の悪化を招き、金銀の流出によって物価水準が国際的に均衡する「価格—スペシー・フロー・メカニズム(Price-Specie-Flow Mechanism)」を発見した。この理論は、重商主義者が恐れた「金銀の流出」が実は経済の自然な調整過程であり、長期的には各国の競争力を適正水準に収束させることを示した。
ヒュームの経済思想は、1752年の『政治論集』に収められた四つの論考において体系的に展開されている。これらの論考は単独の主題を扱いながらも、相互に密接に関連し合い、18世紀中葉の経済現象を包括的に説明する理論体系を構成している。
「貨幣について(Of Money)」は、ヒュームの貨幣理論の出発点である。ここでヒュームが提起した核心的洞察は、貨幣量の変化が経済に与える影響が時間の経過とともに質的に変化するという点である。新たな貨幣が経済に注入された当初、それは賃金や商品価格の調整に先行して人々の支払い能力を高める。この結果、需要が供給を上回り、短期的には生産活動の拡大と雇用の増加が実現される。しかし、この効果は一時的なものに過ぎない。なぜなら、時間の経過とともに賃金と価格が全面的に上昇し、貨幣量の増加は単に名目的な物価水準の上昇に帰着するからである。この時点で、実質的な経済関係(生産量、雇用水準、実質賃金)は元の均衡状態に戻る。
「利子について(Of Interest)」では、ヒュームは当時支配的であった「貨幣量=利子率」説に根本的な批判を加えた。重商主義者の多くは、国内の金銀蓄積が利子率を低下させ、投資を促進すると考えていた。しかしヒュームは、利子率の持続的水準は貨幣の多寡ではなく、実体経済の諸要因によって決定されると論じた。具体的には、資本蓄積の程度、商業の繁栄度(投資機会の豊富さ)、そして安全な投資対象の厚みが利子率を左右する。確かに貨幣の増発は一時的に信用条件を緩和するかもしれないが、健全な投資機会が不足している経済では利子率の持続的低下は実現されない。逆に、資本が豊富に蓄積され商業が発達した経済では、貸し手間の競争が激化し、自然に利子率は低下する。
「貿易収支について(Of the Balance of Trade)」は、ヒュームの最も独創的な貢献である価格—スペシー・フロー・メカニズムの理論的基礎を提供している。ヒュームはここで、重商主義者が恐れる「恒久的な貿易赤字」が論理的に不可能であることを示した。なぜなら、貿易赤字は金銀の流出を伴い、この流出は国内物価の下落と外国物価との格差縮小をもたらすからである。為替レートと正貨の流出入は、まさに価格水準の国際的差異を埋める調整弁として機能する。この自動調整機構により、各国の競争力は長期的に適正水準に収束する。
「公信用について(Of Public Credit)」では、ヒュームは国債制度の二面性を鋭く分析した。一方で国債と信用制度は、政府の資金調達を平準化し、商業の発展に寄与する有益な制度である。しかし他方で、国債制度は戦費調達を過度に容易にするため、政府の財政規律を弛緩させる危険性を孕んでいる。過度の公債発行は将来世代への租税負担の転嫁を意味し、長期的には経済成長を阻害する要因となりうる。さらに、国債の借り換えが連鎖的に繰り返されることで、金融システム全体の不安定性が高まる可能性もある。
ヒュームが発見した価格—スペシー・フロー・メカニズム(Price-Specie-Flow Mechanism)は、開放経済における物価・貿易・金銀移動の相互連関を説明する画期的な理論である。この理論の核心は、国際間の物価格差が貿易と正貨移動を通じて自動的に解消されるという洞察にある。
ヒュームの思考実験は、固定金本位制下の単純化された経済モデルから出発する。仮に、ある国に新たな金鉱が発見され、大量の金が流入したとしよう。この金の流入は、まず国内の貨幣量を増加させる。貨幣量の増加は即座に人々の支払い能力を高めるが、賃金や商品価格の調整には時間がかかるため、短期的には需要が供給を上回る状況が生じる。この結果、国内物価は上昇し始める。
物価上昇の影響は、やがて国際貿易に波及する。国内物価の上昇により、自国の商品は外国市場での競争力を失い、輸出は減少する。同時に、相対的に安価となった外国商品への需要が高まり、輸入は増加する。この結果、貿易収支は悪化し、貿易赤字が発生する。
しかし、この貿易赤字は持続不可能である。なぜなら、輸入代金の支払いには金銀(正貨)の流出が必要だからである。金銀の流出は国内貨幣量の減少をもたらし、これが国内物価の下落圧力となる。物価が下落すれば、自国商品の国際競争力は回復し、輸出が増加する一方で輸入は減少する。このようにして貿易収支は均衡に向かい、金銀の流出も停止する。
この調整過程は、まさに経済の「見えざる手」による国際的均衡の実現を示している。重要なことは、この調整が政府の介入を必要とせず、市場メカニズムによって自動的に行われる点である。ヒュームはこの理論によって、重商主義者が恐れた「金銀の流出」が実は経済の健全な調整過程であり、長期的には各国の競争力を適正水準に維持する役割を果たすことを示した。
この理論の精緻化は、後の経済学者によってさらに進められた。特に19世紀には「金銀点(gold/silver points)」の概念が発達し、正貨の輸送費・保険料・鋳造費などの取引コストが、為替レートと金銀移動の無裁定範囲(変動バンド)を規定することが明らかになった。例えば、ロンドン・パリ間の金輸送コストが1%であれば、為替レートが平価から1%以上乖離した時点で金の裁定取引が始まり、為替レートは1%の範囲内に収束することになる。
ヒュームの貨幣理論における最も重要な貢献の一つは、貨幣が経済に与える影響を時間軸で明確に区分した点である。この洞察は、前章で検討したカンティロンの「注入経路効果」をさらに発展させ、貨幣現象の動学的性質を理論化したものといえる。
短期的な貨幣の非中立性について、ヒュームは具体的な伝播経路を描写している。新たな貨幣が経済に注入された場合、それは最初に特定の主体(国王、軍需産業、銀行、大商人など)によって受け取られる。これらの主体は追加的な購買力を獲得し、商品やサービスへの需要を増加させる。しかし、この需要増加に対して、賃金や商品価格の調整は即座には行われない。なぜなら、労働契約や商取引の多くは短期的に固定されており、価格の変更には交渉や情報収集のコストが伴うからである。
この価格の「粘着性」こそが、貨幣が短期的に実体経済に影響を与える根本的理由である。需要の増加に対して価格が十分に上昇しない間は、企業は増産によって需要に応える誘因を持つ。増産のためには労働者の雇用が必要であり、これが雇用の拡大をもたらす。このようにして、貨幣量の増加は短期的には生産活動の活性化と雇用の改善をもたらす実効性を持つのである。
しかし、この効果は永続的ではない。時間の経過とともに、労働者は物価上昇を認識し、より高い名目賃金を要求するようになる。企業もまた、投入コストの上昇を商品価格に転嫁する。このような価格調整が経済全体で進行すると、当初の貨幣量増加は単に名目的な物価水準の上昇として現れるだけとなる。実質賃金、実質利潤率、実質生産量といった経済の基本的な実質変数は、元の均衡水準に回帰する。
この長期的な中立性は、経済の実質的な生産能力や資源配分が、貨幣的要因ではなく技術進歩、資本蓄積、労働力の質と量、天然資源の賦存といった実物的要因によって決定されることを意味している。ヒュームはこの洞察によって、重商主義者が信じた「金銀蓄積による恒久的繁栄」という幻想を理論的に否定したのである。
この短期的非中立性と長期的中立性の二層構造は、後の経済学の発展において極めて重要な意義を持った。古典派経済学における「貨幣の長期中立性」命題、セイの法則と結合した古典的二分法、そして20世紀の新古典派経済学における貨幣的中立性の理論は、すべてヒュームのこの基本的洞察に淵源を持っている。
ヒュームの利子率理論は、当時支配的であった単純な貨幣数量説的理解に対する根本的な批判として構築された。重商主義時代の多くの論者は、国内への金銀流入が利子率を機械的に低下させ、それが投資を促進して経済成長をもたらすと考えていた。しかしヒュームは、この因果関係が表面的な観察に基づく誤解であることを鋭く指摘した。
ヒュームによれば、利子率の持続的水準を決定する要因は貨幣の量的多寡ではなく、経済の実物的構造にある。第一に重要なのは資本蓄積の程度である。社会に蓄積された資本が豊富であればあるほど、資本の限界生産性は低下し、投資から得られる期待収益率も低下する。この結果、借り手が支払い得る利子率の上限も低下し、市場利子rate も下降する。
第二の要因は、商業の繁栄度、すなわち収益性の高い投資機会の豊富さである。新たな市場の開拓、技術革新による生産性向上の可能性、人口増加による需要拡大など、高い収益率を期待できる投資機会が豊富な経済では、借り手は高い利子率を支払ってでも資金を調達しようとする。逆に、経済が成熟し新たな投資機会が限られている場合、借り手の資金需要は低迷し、利子率は低水準で推移する。
第三の要因は、安全な投資対象の厚みである。国債、優良企業の社債、担保の確実な不動産投資など、リスクが低く確実な収益を期待できる投資対象が豊富に存在する経済では、資金の供給者は低い利回りでも資金を提供する意欲を持つ。これに対し、投資対象の信用度が低く、デフォルト・リスクが高い経済では、資金供給者はリスク・プレミアムとして高い利子率を要求する。
確かに貨幣量の増加は、短期的には信用市場の流動性を高め、利子率を押し下げる効果を持ちうる。しかし、この効果は一時的なものに過ぎない。なぜなら、健全な投資機会が不足している経済では、余剰資金は投機的な資産価格上昇や消費財への需要増加に向かい、やがて一般物価の上昇として現れるからである。物価上昇が進めば、実質利子率は低下し、最終的には名目利子率も実物要因によって決定される水準に回帰する。
逆に、資本が豊富に蓄積され商業が発達した経済では、貨幣量の多寡に関係なく利子率は自然に低下する。これは、豊富な資本蓄積が資金の供給を増加させる一方で、商業の発達が安全で収益性の高い投資機会を提供し、資金需要と供給の均衡点が低利子率で実現されるためである。オランダ共和国が17世紀から18世紀にかけて欧州最低の利子率を実現していたのは、まさにこの理論の実証例といえる。
ヒュームのこの利子率理論は、前章で検討したロックの市場利子率論の系譜に連なり、後にアダム・スミスやデイヴィッド・リカードによって継承された。さらに19世紀末のクヌート・ヴィクセルによる「自然利子率」概念や、20世紀の実物的景気循環理論における「実物要因による金利決定」理論の先駆的意義を持っている。
ヒュームの価格—スペシー・フロー・メカニズムは、その理論的明快さゆえに長く経済学の教科書に掲載されてきたが、実際の調整過程は彼が想定したよりもはるかに複雑である。この複雑性は、主として当時の貨幣制度の特殊性と、各国経済の産業構造の違いに起因している。
まず、為替レートと正貨移動の関係について詳しく検討する必要がある。ヒュームの理論では、貿易不均衡が直ちに金銀の物理的移動をもたらすと想定されているが、実際には「金銀点(gold/silver points)」と呼ばれる取引コストの存在が重要な役割を果たした。為替レートが平価から乖離しても、その乖離幅が正貨の輸送費・保険料・鋳造費・検定コストの合計を下回る限り、正貨の物理的移動は発生しない。この取引コスト帯域内では、為替レートの変動が調整の主要メカニズムとなる。
例えば、ロンドン・アムステルダム間の金輸送コストが平価の2%に相当するとすれば、為替レートが平価から1%乖離した程度では金の裁定取引は発生せず、為替レートの変動のみで調整が行われる。しかし乖離幅が2%を超えると、金の物理的移動による裁定が始まり、為替レートは2%の変動バンド内に収束する。この「金銀点」の概念は、ヒュームの理論を現実に適用する際の重要な修正要因となった。
18世紀の貨幣制度においてさらに複雑な要因となったのは、金銀複本位制の存在である。多くの国が金と銀の両方を法定貨幣として採用していたため、法定金銀比価と市場での金銀比価の乖離が恒常的な問題となった。前章で検討したグレシャムの法則が示すように、法定比価で相対的に高く評価された金属は国内に流入し、相対的に低く評価された金属は国外に流出する傾向があった。
この金銀比価の変動は、ヒュームの価格—スペシー・フロー・メカニズムと相互作用し、調整過程をさらに複雑化した。例えば、ある国で銀が相対的に高く評価されている場合、貿易赤字の決済は主に金の流出によって行われ、銀は国内に蓄積される。この結果、国内の貨幣量減少(デフレ圧力)の程度は、金銀の相対的構成比によって大きく左右された。
さらに重要な要因は、各国の産業構造と価格弾力性の違いである。ヒュームの理論は、物価変動に対する貿易量の反応が十分に大きいことを暗黙に前提としているが、実際の価格弾力性は商品や産業によって大きく異なった。例えば、必需品や代替財の少ない特殊商品の貿易は、価格変動に対して相対的に非弾力的であり、調整に長期間を要した。
また、各国の輸入依存度や輸出産業の構成も調整速度に大きな影響を与えた。原材料の多くを輸入に依存する国では、物価上昇が即座に生産コストの上昇をもたらし、輸出競争力の悪化が急速に進行した。一方、自給自足的な農業経済では、物価変動が貿易収支に与える影響は限定的であり、調整は緩慢に進行した。
労働市場の制度的特徴も重要な要因である。ギルド制度が強固な地域では賃金の下方硬直性が強く、デフレ圧力に対して雇用調整が先行する傾向があった。これに対し、より柔軟な労働市場を持つ地域では、賃金調整による競争力回復が比較的迅速に進行した。
ヒュームの理論体系は、18世紀の政策立案者に対して重要な含意を提供した。特に金本位制下での経済政策は、国際的な制約の中で国内の経済目標を追求するという困難な課題に直面していたが、ヒュームの分析はこの課題への理論的指針を与えた。
金融政策に関して、ヒュームの理論は拡張的政策の限界を明確に示した。確かに貨幣供給の増加は短期的には景気刺激効果を持つが、開放経済においてはこの効果は必然的に貿易収支の悪化を伴う。物価上昇により輸出競争力が低下し、輸入が増加する結果、正貨の流出が始まる。この正貨流出は最終的に国内貨幣量を元の水準に押し戻すため、金融緩和の効果は自己消滅的である。したがって、持続的な経済成長を目指すのであれば、貨幣的手段に頼るのではなく、生産性向上や資本蓄積といった実物的要因の改善に注力すべきである。
財政政策については、ヒュームは国債制度の二面性を強調した。戦争や大規模な公共投資のように、一時的に巨額の資金需要が発生する場合、国債発行による資金調達の平準化は経済の安定に寄与する。戦時に過度の増税を行えば民間経済活動が萎縮し、平時に過度の緊縮を行えば必要な公共投資が阻害される。国債制度は、このような時間的な資金需要の不均衡を平準化する有効な手段である。
しかし、国債制度には深刻な道徳的危険(moral hazard)が内在している。資金調達が容易になることで、政府は財政規律を緩める誘因を持つ。特に戦費については、国債による調達が可能であることを理由に、本来であれば回避すべき軍事的冒険に乗り出す危険性がある。さらに、国債の累積は将来世代への租税負担の転嫁を意味し、長期的には民間の資本蓄積を阻害する要因となりうる。
ヒュームが特に警告したのは、国債の借り換えが連鎖的に繰り返される状況である。元本の償還を新たな国債発行によって賄う慣行が定着すれば、政府債務は雪だるま式に拡大し、やがて政府の信用力そのものが疑問視される事態に陥る。このような財政危機は、金融システム全体の不安定化をもたらし、経済全体に深刻な打撃を与える可能性がある。
通商政策に関しては、ヒュームの理論は為替レート、金銀点、輸送費用の三要素を総合的に考慮した政策設計の重要性を示唆している。例えば、輸出入関税の設定は、単純に国内産業保護や財政収入の確保という観点からだけでなく、国際競争力や正貨流動への影響も考慮して決定されるべきである。
鋳造政策もまた重要な政策手段である。鋳造手数料の水準は、正貨の流出入コストに直接影響し、事実上の金銀点を左右する。また、硬貨の品質管理(純度、重量の統一)は、国際取引における信用度を高め、取引コストを削減する効果を持つ。これらの制度的要因を適切に管理することで、短期的な景気変動を緩和しつつ、長期的な経済の信用力を維持することが可能となる。
ヒュームの価格—スペシー・フロー・メカニズムは、その後200年以上にわたって経済学者による批判的検討と理論的洗練を受けてきた。この過程で、ヒューム理論の適用可能性と限界が次第に明らかになり、現代の国際マクロ経済学の発展に重要な貢献を果たした。
最初の本格的な理論的検討は、19世紀初頭のブリュオニスト論争(Bullionist Controversy)において行われた。ナポレオン戦争期のイングランド銀行券の金兌換停止を背景として、ヘンリー・ソーントン(Henry Thornton)、デイヴィッド・リカード、フランシス・ホーナー(Francis Horner)らは、紙幣発行と金準備の適正な関係について激しい論争を展開した。
この論争において、ソーントンは特に重要な貢献を行った。彼は、ヒュームが想定した機械的な物価—正貨流動の関係に対して、信用制度と利子率の役割を強調した。ソーントンによれば、中央銀行の割引政策は正貨流動を左右する重要な要因であり、適切な金利政策によって金兌換制度下でも一定の政策的裁量が可能である。また、価格と賃金の粘着性についても詳細な分析を行い、短期的な調整過程の複雑性を明らかにした。
リカードもまた、ヒューム理論の精緻化に大きく貢献した。彼の『政治経済学および課税の原理』(1817年)では、比較優位の理論と価格—スペシー・フロー・メカニズムを統合し、長期的な貿易パターンの決定要因を明らかにした。リカードの分析により、ヒューム理論は単なる短期的調整メカニズムから、国際分業の長期的パターンを説明する理論へと発展した。
19世紀後半から20世紀前半にかけては、資本移動の重要性が次第に認識されるようになった。ヒュームの理論は本質的に「貿易収支主導」の調整メカニズムを想定していたが、国際資本市場の発達に伴い、資本収支の変動が調整過程に与える影響が無視できなくなった。金利差、為替レート予想、政治的安定性などの要因によって決定される資本フローは、しばしば貿易収支の調整に先行し、ヒュームが想定した調整過程を大きく修正する要因となった。
20世紀に入ると、ケインズ革命とともに価格・賃金の粘着性に対する理解が深まった。ケインズの『貨幣論』(1930年)や『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936年)は、短期的な価格調整の不完全性と、それに伴う産出量・雇用の変動を理論的に基礎づけた。この分析により、ヒュームの短期的非中立性の洞察は、より精緻な理論的基盤を獲得した。
戦後の新古典派経済学とニューケインジアン経済学は、さらに高度な分析手法を用いてヒューム理論の現代化を図った。独占的競争、メニューコスト、情報の非対称性、金融摩擦などの要因をモデル化することで、価格調整の遅れや市場の不完全性が国際調整過程に与える影響が明らかになった。これらの研究により、政府や中央銀行の政策的介入が短期的には有効性を持ちうることが理論的に示された。
しかし、これらの理論的発展にもかかわらず、ヒュームの基本的洞察は現代においても重要な意義を保持している。国境を越えた貨幣—価格—貿易の相互連関による「自動調整」という概念は、金本位制から現代の変動相場制に至るまで、国際マクロ経済学の基本的直観を提供し続けている。
特に重要なのは、ヒュームが示した「持続的な貿易不均衡の不可能性」という洞察である。調整のメカニズムや速度は時代とともに変化したが、長期的には各国の国際競争力が均衡水準に収束するという基本的傾向は、現代においても観察される。欧州債務危機、アジア通貨危機、日本の長期デフレなど、現代の国際経済問題の多くは、ヒューム的な調整メカニズムの文脈で理解することが可能である。
ただし、ヒューム理論の適用には重要な限界があることも認識すべきである。現代の国際経済は、金融市場の高度な発達、多国籍企業による企業内貿易の拡大、サービス貿易の重要性増大など、ヒュームが想定しなかった特徴を持っている。また、各国政府の政策協調や国際機関による介入も、純粋な市場メカニズムによる調整を修正する重要な要因となっている。
デイヴィッド・ヒュームの貨幣理論から学ぶべき最も重要な教訓は、経済現象を短期と長期の二重の視点で理解する必要性である。価格—スペシー・フロー・メカニズムが示すように、国際間の物価格差は貿易と正貨移動を通じて最終的に均衡するが、この調整過程は瞬時に完了するものではない。短期的には価格の粘着性や制度的制約により、貨幣的要因が実体経済に影響を与えるが、長期的にはこれらの影響は消失し、実物的要因が経済の基調を決定する。
ヒュームの利子率理論が教えるもう一つの重要な洞察は、金融現象の背後にある実物的基盤の重要性である。利子率の持続的水準は貨幣量の多寡によって決まるのではなく、資本蓄積の程度、投資機会の豊富さ、制度的信用力といった実体経済の構造によって決定される。この洞察は、現代の金融政策を考える上でも極めて重要な含意を持っている。
国際経済の調整メカニズムについて、ヒュームは取引コストの重要性を早くから認識していた。金銀点の概念が示すように、輸送費・保険料・鋳造費などの取引コストは、為替レートの変動範囲を規定し、調整の速度とパターンを左右する。現代においても、情報コスト、規制コスト、文化的障壁などが国際経済調整に与える影響は無視できない。
最後に、ヒュームの分析は制度的要因の重要性を強調している。二本位制における金銀比価の設定、硬貨の品質管理、信用制度の発達度合いなどは、すべて経済調整の速度と安定性に影響を与える。これらの制度的要因を適切に設計し管理することが、健全な経済運営の基盤となる。この教訓は、現代の国際通貨制度や金融規制を考える上でも重要な示唆を提供している。
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