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第12章:カール・マルクス——価値形態論と資本の一般式による商品貨幣分析

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序論:古典派経済学の批判的継承と金融資本主義の予見

カール・マルクスの貨幣論は、単なる経済理論を超えて、資本主義社会の本質的矛盾を解明する壮大な理論体系の中核を成している。『資本論』第1巻(1867年)で展開された価値形態論から貨幣論、そして資本の一般式M–C–M′に至る理論的展開は、19世紀の古典派経済学を批判的に継承しながら、20世紀の金融資本主義の本質を驚くべき先見性で予見していた。

マルクスが『資本論』の執筆に取り組んだ19世紀中葉は、産業革命が本格化し、資本主義的生産様式が確立される時代であった。イギリスでは1844年のピール銀行法により近代的中央銀行制度が整備され、1857年と1866年には国際的な金融恐慌が発生した。マルクスが大英博物館での膨大な資料収集を通じて、これらの金融現象を理論的に解明しようと試みたのである。

特に注目すべきは、マルクスが古典派経済学の労働価値説を継承・発展させ、貨幣を単なる交換の媒介物として捉えるのではなく、商品の価値の根源を「投入された抽象的人間労働」に求め、「社会的労働の関係」を表現する形態として位置づけたことである。労働価値説によれば、商品の価値はその生産に社会的に必要な労働時間によって決定される。そして、貨幣は、この労働によって生み出された価値を表現する「価値形態」として機能するのである。この視点は、貨幣を商品(金属主義)や国家の発行する証券(名目主義)として理解する従来の見方を根本的に刷新し、現代の信用貨幣論や内生的貨幣供給論の理論的先駆けとなった。また、利子生み資本と架空資本の分析は、現代の金融化(financialization)現象を理解する上で不可欠な理論的枠組みを提供している。

マルクスの価値形態論は、貨幣成立の論理を商品交換の内在的発展として説明する画期的な理論である。商品の価値表現は、最初の単純な価値形態(20ヤードのリンネル=1着の上着)から始まり、展開された価値形態(一つの商品が多数の商品で価値表現される)、一般的価値形態(すべての商品が一つの商品で価値表現される)を経て、最終的に貨幣形態(金が一般的等価物として確立される)へと発展する。

この発展過程において重要なのは、貨幣が「外在化した一般的等価物」として機能することで、個々の商品の私的労働を社会的労働へと媒介する役割を果たすことである。マルクスにとって貨幣は、単なる交換の便宜や政府の発行する証券ではなく、資本主義社会における社会的労働関係の必然的な表現形態なのである。

この視点は、金属主義と名目主義の対立を超えて、貨幣を価値関係の社会的形態として把握する新しい理論的地平を開いた。現代の信用貨幣制度においても、貨幣の本質は依然として社会的労働関係の表現であるという洞察は、貨幣の制度的性格を理解する上で重要な示唆を提供している。

2. 貨幣の五つの機能とその体系的理解

マルクスは貨幣の機能を五つに分類し、それぞれの機能が資本主義経済においてどのような役割を果たすかを詳細に分析した。この分析は、単なる機能の列挙にとどまらず、各機能が相互にどのように関連し、資本主義的生産の展開にどう寄与するかを体系的に明らかにしているのである。

第一の機能は価値尺度である。これは商品の価値を価格として表現することを可能にする観念的機能である。重要なのは、この機能が実際の貨幣の存在を前提とせず、観念上の貨幣によって果たされる点である。

第二の機能は流通手段で、C–M–C(商品—貨幣—商品)の交換運動を媒介する。ここで貨幣は商品の変態を媒介し、使用価値の実現を可能にする。

第三の機能は支払手段である。これは信用取引における決済単位として機能し、支払の連鎖を形成する。マルクスは、この機能が恐慌の発生メカニズムと密接に関連していることを指摘したのである。

第四の機能は蓄蔵手段で、価値の保蔵(貯蔵・退蔵)を可能にする機能である。

第五の機能は世界貨幣で、国際決済・価値移転の最終形態として機能する。

3. 資本の一般式M–C–M′と価値増殖の秘密——お金がお金を呼ぶメカニズム

マルクスの経済学で最も重要な考え方の一つが、資本がどのようにして増えていくのかを説明する「資本の一般式M–C–M′」である。ここでMは「貨幣(Money)」を、Cは「商品(Commodity)」をそれぞれ表している。

3.1. M–C–M′:お金を増やすためのビジネスサイクル

私たちが買い物をする時、例えば「商品を買うためにお金を使い、その商品を手に入れる(C–M–C)」のは、何か欲しいものを手に入れることが目的である。しかし、資本家がお金を使う目的はまったく異なる。彼らは「お金(M)を使い、商品(C)を買い、その商品を売ることで、最初よりもっと多くのお金(M′)を得る(M–C–M′)」ことを目指すのである。

このM–C–M′のサイクルは、お金を増やすこと自体が目的のビジネスサイクルである。例えば、工場を経営する資本家は、お金を使って原材料や機械、そして労働力を購入する(M–C)。そして、それらを使って新しい商品を作り出し、市場で販売することで、使ったお金よりも多くのお金を回収する(C–M′)。この「M′」と「M」の差額(ΔM)こそが、資本家が手にする「利潤」であり、マルクスはこれを「価値増殖」と呼んだのである。

3.2. 剰余価値の秘密:なぜお金は増えるのか?

では、この価値増殖、つまり利潤はどこから生まれるのだろうか。マルクスは、これを「剰余価値」という概念で説明した。商品の価値は、それに投入された労働時間によって決まるという「労働価値説」が前提にある。

資本家は、労働力を商品として市場で購入する。労働力の商品としての価値(労働者の生活費など、労働力を再生産するために必要な費用)と、労働者が実際に働いて生み出す価値(商品の価値)との間には差がある。例えば、労働者が1日働いて、自身の生活費分を稼ぐのに4時間かかるとする。しかし、資本家は労働者を8時間働かせると、残りの4時間は労働者にとって「ただ働き」となる。この「ただ働き」によって生み出された価値こそが「剰余価値」であり、資本家の利潤の源泉となるのである。

つまり、マルクスは、利潤が「商品を安く仕入れて高く売る」という流通過程から生まれるのではなく、労働者が商品を生産する「生産過程」において、労働力が持つ特殊な性質(労働力そのものの価値よりも多くの価値を生み出す能力)から生まれることを明らかにし、資本主義的搾取の本質を暴いたのである。

3.3. 商業資本・利子生み資本:本業を支える副業

商業資本(商品を専門に売買するビジネス)や利子生み資本(お金を貸して利子を得るビジネス)は、この「モノを作る本業(産業資本)」から派生した形である。商業資本は、商品の流通をスムーズにして、産業資本が早くお金を回収できるように手助けする。利子生み資本は、余っているお金を、生産活動に必要なお金へと変える役割を果たす。しかし、これらの資本が手にする利益も、最終的には産業資本が生み出した剰余価値の一部を分け合っているに過ぎないのである。

4. 信用制度と架空資本——金融経済の動きを理解する鍵

マルクスは、現代の金融システムがどのように機能し、時に危機を引き起こすのかを深く考察した。ここでは、その主要な考え方である「信用制度」と「架空資本」について、分かりやすく説明する。

4.1. 信用制度:約束によって動く経済

「信用」とは、簡単に言えば「後で支払う」という約束に基づいて取引を行う仕組みである。たとえば、企業がお金を借りて事業をしたり、私たちがクレジットカードで買い物をするのは、まさに信用制度が機能しているからである。

この信用制度が発達すると、実際のお金(現金)が手元になくても、取引がスムーズに進むようになる。手形や銀行の貸し出しを通じて、企業は必要な資金を素早く調達し、商品の生産や販売を加速させることができる。マルクスは、この信用制度が資本主義経済の発展を大いに助ける一方で、ある危険性も秘めていることを指摘した。

4.2. 利子生み資本と架空資本:お金が「自動的に増える」という錯覚

信用制度の中で特に重要なのが「利子生み資本」と「架空資本」である。

利子生み資本とは、お金そのものが利子を生み出すかのように見える現象を指す。例えば、銀行にお金を預けたり、誰かにお金を貸したりすると、利子がついてお金が増える。これはまるで、お金が「M(貨幣)からM′(より多くの貨幣)へ」と、自動的に増殖しているように見える。しかし、マルクスは、本当にお金が増えるのは、労働者が働き、新しい価値(剰余価値)を生み出す生産活動があるからだと考えた。利子生み資本は、この生産活動による価値増殖の過程を隠し、「お金がひとりでに増える」という幻想を生み出すのである。

そして、架空資本とは、株式や債券などの「将来の利益への期待」に基づいて売買される金融資産のことである。例えば、会社の株を買うのは、その会社が将来稼ぐだろう利益を期待して投資する行為である。これらの株や債券の価格は、実際の工場の生産力や土地の価値といった「実体的な価値」とは別に、市場の人々の期待や不安、利子率の変動などによって大きく上下する。マルクスは、この架空資本が実体経済から離れて独自に膨張し、時に投機的なバブルや、その後の金融恐慌の原因となることを予見していたのである。

4.3. 金融恐慌:信用の破綻と経済の混乱

信用制度は経済を活発にするが、一度「信用」が失われると、深刻な経済危機、つまり「金融恐慌」を引き起こす可能性がある。

普段、企業や個人は、将来お金を支払う約束(信用)に基づいて取引をしている。しかし、何らかの理由で一部の企業や銀行が支払いを滞らせると、その信用不安が連鎖的に広がり、「みんながお金を信用しなくなる」状態となる。すると、企業は貸し渋り、人々は預金を引き出そうとし、取引は停止し、実体経済にも大きな打撃を与える。マルクスは、信用制度の発達が、恐慌発生時には逆にその規模と深刻さを増幅させることを理論的に分析した。実物経済と金融経済の間に生じるこの分離と連鎖的な支払いの破綻が、恐慌の本質的なメカニズムであると彼は考えたのである。

5. 現代金融システムへの理論的含意

マルクスの貨幣・信用理論は、現代の金融システムを理解する上で多くの重要な洞察を提供している。まず、信用貨幣制度の発達について、マルクスの分析は現代の内生的貨幣供給論の理論的先駆けとなっているのである。

現代の金融システムの主要な機能は、まるでマルクスが19世紀に描いた「信用」という舞台装置が、時代とともに大きく進化し、複雑になった姿として理解できる。

銀行による信用創造(お金が「生まれる」仕組み): マルクスは、『資本論』の中で、銀行が預かったお金をもとに、さらに別の人にお金を貸し出すことで、実際にあるお金(現金)の量よりもはるかに多くの「信用」を作り出していることを指摘した。これは、現代の銀行が預金のほんの一部だけを手元に残し、残りを貸し出すことで、新しいお金(預金通貨)を生み出す「部分準備制度」とそっくりである。マルクスは、この「約束(手形など)のやり取り」が、目に見えるお金がなくても経済活動を活発にする力があることをすでに見ていたのである。

銀行間決済システム(お金の「やり取り」をスムーズにする仕組み): マルクスは、多くの取引が最終的にお互いの借金と貸し借りを相殺し合うことで決済されることに注目した。現代の銀行間決済システム(例えば、日本の銀行同士でお金のやり取りを清算するBOJ-NETや、アメリカのFedwireなど)は、まさにこの「借金と貸し借りをまとめて清算する」仕組みが、巨大なネットワークとして発展したものである。これにより、一つ一つの取引で現金を持ち運ぶ手間がなくなり、莫大なお金が効率的にやり取りされるようになっているのである。

中央銀行の最後の貸し手機能(経済が「困った時」の救済者): マルクスは、経済が危機に陥ると、誰もが急にお金を信用しなくなり、支払いが滞ることで、信用がどんどん縮んでしまう「恐慌」のメカニズムを分析した。このような状況では、誰かが最後に頼れる「お金の供給源」が必要になると示唆していたのである。現代の中央銀行が、金融システムが立ち行かなくなった時に、銀行にお金を貸し出す「最後の貸し手」として機能するのは、まさにマルクスが予見した「信用の破綻」を防ぎ、経済全体を守るための仕組みであると言える。

特に重要なのは、金融化(financialization)現象に対するマルクスの先見性である。利子生み資本の肥大化と実体経済からの乖離という問題は、1970年代以降の金融資本主義の特徴を的確に予見していた。デリバティブ市場の拡大、投資銀行業務の肥大化、短期的利益追求の横行などは、マルクスが分析した架空資本の現代的展開として捉えることができるのである。

国際通貨体制における「世界貨幣」機能(国際的なお金の役割と矛盾): マルクスは、貨幣が国境を越えて国際的な決済や価値の移動に使われる「世界貨幣」としての機能を持つことを指摘した。現代のドル体制を例にとると、米ドルが国際貿易や金融取引で最も広く使われる「準備通貨」としての役割を担っている。これは、ドルがまさにマルクスの言う「世界貨幣」として機能している状態である。しかし、この仕組みは、ドルを発行する国(アメリカ)と、それを利用する他の国々との間で、経済的な力関係や矛盾を生み出すこともある。例えば、新興国が自国通貨の価値を守るために大量のドルを準備したり、国際的な金融市場の変動によって通貨危機に陥ったりする現象は、世界貨幣としてのドルの機能と、それに伴う矛盾の現代的な現れなのである。

2008年の金融危機(マルクス恐慌論の現代的再燃): マルクスは、資本主義経済が信用制度の発達とともに、周期的に恐慌に見舞われることを分析していた。彼の言う恐慌は、信用が収縮し、支払いが滞ることで経済全体が混乱に陥る現象である。2008年に世界を襲った金融危機は、まさにマルクスが指摘した恐慌のメカニズムが現代に再現されたものとして理解できる。アメリカのサブプライムローン問題(低所得者向けの住宅ローン)がきっかけで、その支払いが滞り始めた。これが金融機関の間に「信用収縮」(誰もがお互いを信用しなくなり、お金を貸さなくなる状態)を引き起こし、金融市場の「支払連鎖の破綻」(次々に支払いができなくなる状況)へとつながった。この金融の混乱は、やがて工場での生産が止まったり、失業者が増えたりする「実体経済への波及」を引き起こしたのである。この一連のプロセスは、マルクスが19世紀に分析した恐慌の構造が、現代の複雑な金融システムにおいても本質的に変わっていないことを証明したと言える。

結論:マルクス貨幣論の現代的意義

マルクスの貨幣論は、19世紀の理論でありながら、21世紀の金融資本主義の本質的問題を解明する理論的枠組みを提供している。価値形態論による貨幣の社会的性格の解明、資本の一般式による価値増殖メカニズムの分析、信用制度と架空資本による金融化の理論的把握など、マルクスの洞察は今なお有効性を保っているのである。

特に、貨幣を社会的労働関係の表現として捉える視点は、現代の貨幣・金融制度を批判的に検討する上で不可欠な理論的基盤となっている。金融工学の発達や仮想通貨の登場といった新しい現象も、マルクスの理論的枠組みによって本質的に理解することが可能である。

マルクスの貨幣論は、単なる経済理論を超えて、資本主義社会の構造的矛盾を解明する社会科学の基礎理論としての意義を持ち続けている。現代の金融危機や格差拡大といった問題を理解し、オルタナティブな経済システムを構想する上で、マルクスの理論的遺産は依然として重要な指針を提供しているのである。

キーワード

価値形態論/一般的等価物/価値尺度/流通手段/支払手段/蓄蔵手段/世界貨幣/M–C–M′/剰余価値/信用制度/利子生み資本/架空資本/恐慌論/金融化

関連章


本章は、古典派経済学の批判的継承から現代金融資本主義の理論的解明に至るマルクスの貨幣論の全体像を、現代的視点から再構成したものである。


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